[作品名称]
自画讃「常盤御前」
[時代など]
[大きさ]
[指定区分]
[解説]
村瀬(むらせ)太(たい)乙(いつ) 享和3年~明治14年(1803-1881)
「袖庇両児懐一児路逢
風雪奈何時運窮豈
料児如虎噛盡仇家
爀白旗」
美濃国上有知村(現在の岐阜県美濃市)の豪農の家に生まれ、名を黎、字・号を太乙と称しました。幼い頃は曹洞宗善応寺や村瀬藤城の梅花村舎で学び、23歳の時上京して頼山陽の門人となりました。頼山陽の没後帰郷して名古屋で私塾を開き、のち犬山藩の儒学校・敬道館の教授となりました。書画に数多くの作品を残しており、軽妙で非凡な画風の漢詩人として知られています。
常盤御前は、源義朝の妾で、義経の生母として数奇な運命をたどった女性です。現在放映中の大河ドラマでは稲森いずみが演じています。この画は、平治の乱の際、身の危険を感じた常盤御前が、左右に今若・乙若を、のちに義経となる牛若を懐に入れて雪の山中を逃れる姿を描いています。