[作品名称]
香巌樹之図
[時代など]
[大きさ]
[指定区分]
[解説]
関精拙(せき・せいせつ)明治10年~昭和20年10月2日(1877-1945)
「サア云ヘ サア云ヘ」
臨済宗の僧侶。明治10年(1877)兵庫県美方郡浜坂町に生まれ、諱を元浄、号を青峨といいます。明治33年(1900)兵庫県の天隣寺住職となり、橋本昌禎に参禅、のち高木元碩に師事し悟りを得ました。中国やインドへ赴き、臨済宗の教えを極めたともいわれています。大正11年(1922)天竜寺第240世管長に就任。漢詩・書画に優れていました。
この画は、人が木に登って口で枝を咥えて手足を離してぶら下がっている時に、禅問答をする。答えなければその質問を避けたことになり、答えれば木から落ちる。どうしたらよいか。という禅の教えをあらわしています。