[作品名称]
海岸曙の図
[時代など]
[大きさ]
[指定区分]
[解説]
鈴木百年 文政8年~明治24年(1825-1891)
文政8年(1825)鈴木図書の子として京都に生まれ、名を世壽、字を子孝、号は百年をはじめ大椿翁・摘星楼などと称しました。岸岱・岸連山(※1)に画を学び、風景画を得意としました。明治13年(1880)に開校した京都府画学校(現在の京都市立芸術大学)の教員となり、東西南北四宗(※2)の内、北宗(狩野派・雪舟派)を担当しました。
※1 いずれも岸派の画家。
※2 画学校の授業内容をそれぞれ、東…日本写生画・大和絵 西…西洋画 南…人文画 を示している。
日比野白圭 文政8年~大正3年(1825-1914)
文政8年(1825)尾張藩士間瀬伝蔵の次男として生まれ、のち日比野氏の養子となりました。竹田景甫に絵を学び、ついで森高雅(※1)などに師事しました。土佐派をおさめるだけでなく、諸派画法を学び、独自の絵を大成させました。特に人物画を得意とし、尾張における明治大和絵の第一人者であるといわれます。
※1 1791-1864。名古屋の画家。