児童図書館員のパイオニア小河内芳子さん

2024年11月3日(日)|投稿者:kclスタッフ

こんにちは、志るべです。
秋も深まってまいりましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
早いもので今年も残すところ、ひと月余りとなりました。

 

 

8月のブログ「寅子と三淵さんと澤田さん」では、法曹界のパイオニア三淵嘉子さん、そして政界のパイオニア澤田ひささん(桑名出身)をご紹介しました。
今回はもうひとり、桑名ゆかりのパイオニアをご紹介したいと思います。

 

その人は、小河内芳子(こごうち よしこ)さん。
「児童図書館員のパイオニア」と評される方です。
小河内さんは明治41年(1908)3月16日、桑名町に誕生しました。
三淵さんの生まれる6年前になります。

 

ご自身について語られた一冊がこちら、

 

『公共図書館とともにくらして』(小河内 芳子/著 いづみ書房 1980)
以前ご紹介した「国立国会図書館デジタルコレクション」の送信サービスでご覧いただくことができます)

 

なぜ図書館員になろうと思ったのか。どのようにして児童サービスに携わり、パイオニアと評されるようになったのか。

 

小河内家は桑名潘の重役で、幕末には内堀に屋敷がありました。
(「桑高百周年シリーズ15 小河内芳子(こごうちよしこ)さん(みえきた市民活動センター)」西羽 晃/著 http://www.mie-kita.gr.jp/kuwako_rekisi/15.html より)
桑名町の小学校、女学校を卒業した小河内さんは、大正14年(1925)、上京して目白の日本女子大学国文科に入学します。
女性に選挙権が認められていなかった時代、故郷を離れ単身上京し、大学に入ろうという女性は多くなかったのではないでしょうか。

 

その後、大学を「意に反して中途退学させられ」いったん桑名に帰ると、経済的に自立する方法を模索します。そして、図書館員になる道をみつけます。

 

小河内さんの父親は、桑名町の助役をつとめられた方ですが、父親について、「読書好きで、当時としては自由主義的思想を持っていたらしく思われます」と書いています。

 

そして、こうつづけています。

 

女子大にいきたいといったときも、意に反して中途退学させられたときも、図書館講習所にいきたいといったときも、そして勝手に就職口をきめてきたときも、文句ひとついわず許してくれた父でした。この父から私が受けついだ大きな遺産は「人を差別しない」ということでした。それを言葉でなく態度で示してくれたことでした。

 

さらに、

 

差別の意識、それは日々それを生みだし、それのあることを利益とする社会構造がなくならないかぎり、消滅し去ることはないでしょう。(中略)人びとは理屈ではわかっているのに感覚的にそれを拒否する一面をもっています。その理由の一つは差別の意識は親から子どもに暗黙のうちに伝えられ、心の奥深く植えつけられるものだからでしょう。その点で私は差別をしない意識を植えつけられたことを感謝しているのです。

 

とあります。
父親から受けとった大切なものが、小河内さんの考え方、生き方の核となっていることがわかります。

 

まず、図書館員の資格を得るため、文部省図書館講習所に入ります。図書館について学ぶ中で、公共図書館に児童サービスがあることを知り、興味を持ち始めます。講習所に入った時は補欠での合格でしたが、卒業時の成績は首席で、答辞を読みました。
一年間の学びの後、昭和5年(1930)4月、東京市立京橋図書館で図書館員としての第一歩を踏み出します。それは、この先長年にわたる児童サービス活動のスタートでもありました。

 

ちなみに今、図書館で本を読むのにお金を払うなんて考えもしません。それは、図書館法十七条「公立図書館は、入館料その他図書館資料の利用に対するいかなる対価をも徴収してはならない」という「図書館無料の原則」があるからです。
図書館法が公布されたのは昭和25年(1950)4月30日。
戦前、小河内さんが図書館員となった昭和5年(1930)当時は「閲覧料」をとっており、市立図書館館則によると、「普通閲覧券一回・金二銭」であった、と書かれています。
ただし、そんな時代であっても、児童はすべて無料でした。

 

児童サービスに熱意を持った館長のもと、小河内さんは児童室を手伝い始めます。けれど、しだいに戦争に向かっていく世の中の流れに図書館も歩調を合わせざるをえなくなっていきます。
文章からは、小河内さん個人の経歴だけでなく、当時の図書館、そして社会が見えてきます。

 

戦後は、現場で児童サービスを実践しつつ、対外的にも児童サービスの普及活動に力を尽くしました。
昭和28年(1953)、児童図書館研究会を設立して初代会長となり、以降、昭和57年(1982)まで約30年活動をつづけました。

 

 

『児童図書館と私  上』(小河内 芳子/著 日外アソシエーツ 1981)
『児童図書館と私  下』(小河内 芳子/著 日外アソシエーツ 1981)

 

こちらは、小河内さん自身の著作の一部と、小河内さんとかかわりのあった方による文章をまとめたものです。
中には、子どもたちにとって(大人にとっても)公共図書館が今よりも生活に密着した存在であったことが感じられるエピソードも紹介されています。当時の社会状況の中、単に読書をすすめるだけでなく、深く子どもたちにかかわっていたことがわかります。

 

次の論文では、小河内さんの経歴、活動、そして小河内さんが児童サービスに与えた影響について検証、考察されています。

 

小河内芳子:児童サービスのパイオニア」(汐崎順子著 「Library and information science」 / 三田図書館・情報学会 編 (60), 29-60, 2008)https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00003152-00000060-0029.pdf?file_id=32188

 

 

最後に、小河内さんが翻訳された絵本を一冊ご紹介します。

 

『おかあさんどーこ』(ローナ・バリアン/さく こごうち よしこ/やく アスラン書房 1994)

 

きょうは特別な日。のねずみのヘーゼルはすみれの花束を持っておかあさんのうちに行きました。でもおかあさんはいません。おかあさんはおばあさんのうちに行ったのです。でも、おばあさんはいません。ひいおばあさんのうちに行ったのです。でも、ひいおばあさんはいません。ひいひいおばあさんのうちに行ったのです。そしてひいひいおばあさんは・・・

 

原題は『MOTHER’S MOTHER’S DAY』
特別な日は「母の日」でした。
そして、小河内さんのつけたタイトルは「おかあさんどーこ」
おかあさんをたずね歩くのねずみたちの愛らしいこと。

 

あわただしい年の瀬を迎える前のひととき、桑名の先人を想って、読書の時間を楽しみませんか。

 

 

<引用・参考資料>
『公共図書館とともにくらして』(小河内 芳子/著 いづみ書房 1980)
『児童図書館と私  上』(小河内 芳子/著 日外アソシエーツ 1981)
『児童図書館と私  下』(小河内 芳子/著 日外アソシエーツ 1981)
『おかあさんどーこ』(ローナ・バリアン/さく こごうち よしこ/やく アスラン書房 1994)
『小河内芳子追悼文集』(児童図書館研究会/編集 児童図書館研究会 2012)
「小河内芳子:児童サービスのパイオニア」(汐崎順子著 「Library and information science 」/ 三田図書館・情報学会 編 (60), 29-60, 2008)
「桑高百周年シリーズ15小河内芳子(こごうちよしこ)さん(みえきた市民活動センター)」 (西羽 晃/著)

<志るべ>

 

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