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KCLスタッフブログ ~ブックとラック~

2024年2月10日(土)AM10:00|投稿者:KCLスタッフ

文学と桑名~松尾芭蕉と泉鏡花~

こんにちは、志るべです。
立春を過ぎ、季節はもう春。

 

 

とはいえ、まだまだ寒い日がつづいています。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 

4階「歴史の蔵」の前では、2月1日~3月26日(2月2日~7日は蔵書点検で休館)、「文学と桑名」と題して特集展示を行っています。
今年度の「昭和の記憶収集資料展」の講演会のテーマも文学でした。
講師は郷土史家の西羽晃(にしは あきら)先生で、昭和初期の桑名ゆかりの文学者、堺利彦、高橋俊人、中原中也についてお話ししていただきました。
今回の特集展示では、松尾芭蕉と泉鏡花を取り上げています。

 

伊賀上野出身の松尾芭蕉は、三重県人にとって身近な存在で、「芭蕉さん」と親しく呼ばれています。
生涯旅をつづけた芭蕉は各地にゆかりの地がありますが、ここ桑名にも何度か立ち寄っています。

 

展示では、桑名の白魚を詠んだ句を紹介しています。
芭蕉さんも、桑名産の白魚を賞味されたのでしょうか。

 

「野ざらし紀行」の旅の途中、桑名で詠んだ句がこちら、
 明ほのやしら魚しろきこと一寸
『芭蕉全句 上巻』 加藤 楸邨/著 筑摩書房 1969 所収)

 

同じ白魚を詠んだ句ですが、『笈日記』(各務支考/編)には、
 雪薄し白魚しろき事一寸
『日本名著全集 江戸文芸之部 第3巻 芭蕉全集』所収)

 

とあります。
この二作、「雪薄し」の句が初案の句とされ、最初「雪薄し」と詠みましたが、雪の白と白魚の白では印象が散漫になるため、「明ほのや」に改めたと考えられています。

 

現在、浜の地蔵(龍福寺)には両方の句碑があり、昭和43年2月20日、「芭蕉「野ざらし紀行」跡白魚句碑等」として、市の指定文化財(史跡)に指定されました。
くわしくは4階の特集展示をご覧ください。

 

句碑について書かれた本は、こちらをどうぞ。
『桑名市の指定文化財』(桑名市教育委員会 1985)
『くはな文学碑めぐり』(むらさき会/編  むらさき会 1991.1)
『三重県の文学碑 1 北勢編』(本城 靖/著 三重県郷土資料刊行会 1976)

 

また、春日神社には芭蕉直筆の短冊があります。
明ほ乃や白魚白き事一寸  芭蕉桃青

 

こちらも昭和41年(1966)11月22日、市の文化財(書跡)の指定を受けています。

 

 

さて、もう一人は、泉鏡花です。
鏡花は、石川県金沢町(現・金沢市)生まれで、父・清次は彫金師、母・鈴は能楽師の娘です。
鏡花は母親を早くに亡くし、母への感情は、作品の主要なテーマの一つとなっています。

 

桑名を舞台とした作品に『歌行燈』(泉 鏡花/作 改版 岩波書店 2017.6)があります。
明治42年(1909)、鏡花ら文芸革新会の一行は、鳥羽、宇治山田、桑名、名古屋などを旅行し、講演会を開いています。この講演旅行の際の見聞を踏まえて『歌行燈』は執筆されました。

 

鏡花らは船津屋に宿泊しました。
船津屋は、昔の大塚本陣を改築した旅館兼料理屋で、揖斐川を臨む絶景の地にあり、作中では、「湊屋」として登場しています。
当時の船津屋は戦災で焼失し、現在の船津屋は戦後に建てられました。

 

昭和14年(1939)、久保田万太郎が新生新派のために劇化した縁で、船津屋には久保田万太郎の句碑があります。句には、湊屋裏河岸から這いあがっていたずらする獺(かわうそ)の姿が詠まれています。
かはをそに火をぬすまれてあけやすき  久保田万太郎

 

などと、さも鏡花の作品にくわしいかのように書いておりますが・・・
これまで何度も『歌行燈』(読破)にチャレンジし、その度に挫折。
読み通せたことがありませんでした。

 

『歌行燈』が発表されたのは明治43年(1910)
今から100年以上前の作品とはいえ、きちんと活字化されているし、注もたくさん付いています。
明治の文豪、鴎外や漱石よりも後に生れている鏡花の作品が読み進められないなんて。

 

お恥ずかしい限りですが、文章に馴染めないのです。
独特の文体もさることながら、話がややこしい。
うどん屋と湊屋、二つの場面が入れ替わりながら話が進んでいきます。
おまけに『東海道中膝栗毛』(『新編日本古典文学全集 81 東海道中膝栗毛』 小学館 1995.6 所収)の一節が随所に組み込まれていて、これまたややこしい。
言い訳ですが、挫折する要素、満載です。
そんな体たらくの私なのですが、今回初めて読み終えることができました。

 

その力強い味方となったのがこちらの一冊。

 

 

『本当にさらさら読める!現代語訳版 泉鏡花<観念・人世>傑作選』(泉 鏡花/著,秋山  稔/監修,白水 銀雪/訳 KADOKAWA 2020.8)

 

 

タイトルに歌われているとおり、さらさら読めるように訳されています。
ストーリーがわかってから読み直すと、原文も読みやすく感じました。

 

作中に登場する『東海道中膝栗毛』も、現代語抄訳でいかがでしょう。

 

 

『現代語抄訳で楽しむ 東海道中膝栗毛と続膝栗毛』( [十返舎 一九/作],大石 学/監修 KADOKAWA 2016.9)

 

『東海道中膝栗毛』に親しむことで、『歌行燈』の世界をよりお楽しみいただけるのではないでしょうか。

 

茶屋で焼蛤を食べて一休みする旅人の姿、行燈が掛かる町を走り抜ける人力車、当時の桑名の風景が浮かんできます。
図書館の展示を見て「おうち読書」を楽しみながら、あと少し、本格的な春の訪れを待ちませんか?

 

 

<引用・参考資料>
『芭蕉全句 上巻』 加藤 楸邨/著 筑摩書房 1969 /911.3/カ/1
『日本名著全集 江戸文芸之部 第3巻 芭蕉全集』 日本名著全集刊行会 1929 /918/ニ/
『くはな文学碑めぐり』 むらさき会/編 むらさき会 1991.1 AL/902/ク/
『三重県の文学碑 1 北勢編』 本城 靖/著 三重県郷土資料刊行会 1976 AL/902/ミ/
『桑名市の指定文化財』 桑名市教育委員会 1985 AL/709/ク/
『泉鏡花<観念・人世>傑作選 本当にさらさら読める!現代語訳版』 泉 鏡花/著,秋山 稔/監修,白水 銀雪/訳  KADOKAWA 2020.8 /913.6/イズ/
『歌行燈』 泉 鏡花/作 改版 岩波書店 2017.6 AL/936/イ/
『新編日本古典文学全集 81 東海道中膝栗毛』 小学館 1995.6 Z/918/シ/81
『現代語抄訳で楽しむ東海道中膝栗毛と続膝栗毛』 [十返舎 一九/作],大石 学/監修 KADOKAWA 2016.9 AL/292/ジ/

 

<志るべ>

 

2024年1月4日(木)AM12:00|投稿者:KCLスタッフ

あけましておめでとうございます。2024

あけましておめでとうございます。

今年も中央図書館とスタッフブログ「ブックとラック」を

よろしくお願いします。

 

 

 

 

桑名市中央図書館は、1月4日から開館しております。

皆さま、お正月はいかがお過ごしでしょうか?

年末年始に移動を希望する人数は、コロナ前にかなり戻ったとニュースを見ました。

せっかくのお正月、帰省でも旅行でも、行きたい場所で過ごしたいところ。

その行きたい場所に図書館が入っていれば幸いです。

 

 

令和6年、今年の干支は「辰」です。

龍は十二支で唯一の空想上の動物ですが、古くから縁起の良い生き物とされてきました。

この一年も良い年にしてくれることを期待したいです。

 

 

ところで「辰」という漢字ですが、十二支以外で「龍」の意味で使用するのを見たことありますか?

恐らく、思いつかないのではないでしょうか。

 

なぜなら、一説によると十二支の動物は、十二支の思想を広める際に一般の人にも分かりやすいように当てはめたものだからです。

つまり、本来「辰」の漢字には龍という意味はなかったそうです。

 

 

『岩波新漢語辞典』(山口 明穂/編,竹田 晃/編  2014.1)で「辰」と引くと、以下のように書かれています。

【辰】たつ・シン(漢)・とき(名)

①十二支の第五。たつ。方角では東南東、時刻では午前八時(の前後各一時間)に当てる。「戊辰」

②とき。日(がら)。「佳辰・誕辰」

③天体。星。「星辰・北辰・辰宿」

 

確かに②や③を見ると、龍との繋がりは薄い漢字に見えます。

十二支の龍の意味は後から追加されたからなのでしょうね。

ちなみに、「誕辰」と書いて「誕生日」や、「北辰」と書いて「北極星」という意味になるそうです。

漢字の意味が分かると、読みやすくなって面白いですね。

誕生日カードに書いてみても良いかもしれません。

 

 

ただ、龍のような生き物の意味がない漢字なのかというと、そうでもありません。

 

一説になりますが、この「辰」という漢字は象形文字、いわゆる物の形を模倣して作られた漢字だとされています。

それによると「辰」の形は、二枚貝の殻から、弾力のある足をぴらぴら出している様子を表しているそうです。

 

 

二枚貝から足・・・絵面としても、なかなかシュールですね。

そんな漢字が十二支の龍に選ばれるとは、滝登りの鯉も二度見しそうな変貌です。

 

十二支を広める目的では採用されなかったでしょうが、もしこちらの意味で広まっていたら、十二支に交じる二枚貝がいたのかもしれません。

 

うさぎと蛇の間にしれっと混ざる二枚貝、神様の元へえっさほいさと走る二枚貝、年賀状で自慢の足を披露する二枚貝たち・・・

ちょっと見てみたかった気もしますね。

 

 

 

更につけ加えると、「辰」は「蜃」の字源(起源となった漢字)でもあります。

「蜃」とは、蜃気楼を作り出すとされた伝説の生き物で、この「蜃」の口から海上に吹いた気が、楼閣・城市の形をしたことから、「蜃気楼」と呼ばれたそうです。

そして、その正体といわれている姿の一つが竜、もう一つが大蛤です。

 

 

ところで、蛤といえば、桑名の名産ですよね。

 

実は、この桑名を舞台に大蛤の姿の「蜃」が描かれている絵が存在します。

その一つがこちら、二代目歌川国貞の「春季蜃気楼」(桑名市博物館所蔵)です。

 

「春季蜃気楼」二代目歌川国貞[作] (『北斎・広重・国芳 浮世絵に見る東海道五十三次・桑名,特別企画展』より)

 

 

現れた蜃気楼に仰天する人々と、我関せずと悠々と氣を吐く大蛤。

浮世絵らしい鮮やかな色彩が見応えがある一方、少しユーモラスな場面に、くすっと笑ってしまいます。

 

こちらは、桑名市立図書館の『北斎・広重・国芳 浮世絵に見る東海道五十三次・桑名,特別企画展』(桑名市博物館/編 2013.10 p80, 解説p113)に掲載されています。

この絵以外にも、著名な浮世絵画家による「蜃」の絵や、桑名に関わる浮世絵が数多く載っています。

貸出も可能なので、気になる方は是非借りてみてください。

 

 

また、「辰」の意味にはもう一つ、形声文字(音を表す文字と意味をあらわす文字を組み合わせた漢字)と考える説もあります。

乙+匕+二+厂で「辰」となり、この組み合わせは、草木が盛んに成長し整っていく様子を表すのだそうです。

これも活力あふれた良い年になりそうな素敵な意味ですね。

 

 

今年はどんな年になるでしょうか。

桑名市立中央図書館が、良いお年を過ごせる一助になればと思います。

この一年も、皆さまのご来館お待ちしております。

 

 

▼引用・参考資料

『干支の漢字学』 水上 静夫/著 1998.12

『部首ときあかし辞典』 円満字 二郎/著 2013.5

『岩波新漢語辞典』 山口 明穂/編,竹田 晃/編  2014.1

『新潮日本語漢字辞典』 新潮社/編 2007.9

『新選漢和辞典 第8版』 小林 信明/編 2022.2

『角川新字源』 小川 環樹、他/編 2017.10

『北斎・広重・国芳 浮世絵に見る東海道五十三次・桑名,特別企画展』 桑名市博物館/編 2013.10

2023年6月16日(金)AM12:00|投稿者:KCLスタッフ

第二弾 桑名ゆかりの有名人

こんにちは、「志るべ」です。
梅雨入りを迎える季節となりましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
早いもので、今年も半分が過ぎようとしています。

 

 

2月の、かぶらの記事「桑名ゆかりの有名人」お読みいただけましたか?
大河ドラマでも活躍する三人、本多忠勝、服部半蔵、千姫をご紹介しました。
ドラマは着々と進み、忠勝は常に家康の側に仕え、半蔵は御用とあらばどこからともなく風のように現れます。

忠勝は、鹿角の冑を身に着けて立派な槍「蜻蛉切(とんぼきり)」を持った、いかつい武将のイメージが強いですが、ドラマの中ではまっすぐで初々しい、若き姿が印象的です。
忍者として知られる半蔵は、自分は武士であって忍者とは呼ばれたくないというちょっと屈折した部分を持って描かれています 。
家康の孫娘、千姫は現時点では登場していません(まだ生まれていませんね)

 

 

今回は第二弾としてさらに、家康に関係する「桑名ゆかりの有名人」をご紹介します。
まず、桑名藩主、久松松平定勝とその家系。

 

家康の実母、於大の方は初め松平広忠に嫁ぎ、家康を生みます。
ところが実家の水野家(兄の水野信元)が今川家(嫁ぎ先である松平家の主君)から織田方についたため、離縁となりました。
その後、於大の方は久松俊勝に再嫁し、生まれた男子の一人が定勝でした。定勝は家康の異父弟であることから松平姓を許され、本多家が姫路へ移封となった後、桑名藩主となりました。

 

定勝の後はその子、定行が継ぎ、定行が伊予国松山藩(現在の愛媛県松山市)へ移封すると定行の弟、定綱が藩主として桑名に入ります。
この定綱の家系が桑名の久松松平家で、幕末に京都所司代を務めた桑名藩主、定敬(会津藩主松平容保の実弟)へとつながっていきます。

 

久松松平家は越後高田藩(現在の新潟県上越市)、陸奥国白河藩(現在の福島県白河市)と一旦桑名を離れます。白河藩時代には、寛政の改革に取り組んだ老中松平定信を藩主としています。
その後、文政6年(1823)の国替えで再び桑名へ戻り、この地で幕末を迎えました。
そのため久松松平家の史料は桑名に残されています。

 

桑名の人々から「鎭國さん」として親しまれている鎭國守國神社には、鎭國公(定綱)と守國公(定信)が祀られています。
また、鎭國守國神社の楽翁公百年祭記念寶物館には数々の久松松平家に関する史料が収められています。中には、国の重要文化財「集古十種板木」(松平定信の命により、全国の神社仏閣や諸家に伝わる名品を模写蒐集し編集したもの)もあります。

 

収蔵品は、
『桑名松平伝来資料史料調査報告書 鎮國守國神社所蔵資料目録』(桑名市教育委員会 2004.3)
にまとめられています。

 

また、桑名市立中央図書館では久松松平家の家譜を所蔵しています。
デジタル化した家譜はこちらをご覧ください。
『御家譜 全』

 

 

 

次は、桑名藩主、奥平松平忠雅とその家系。

 

すでにドラマに登場している、家康の長女亀姫(母は正室瀬名、築山殿)は奥平信昌に嫁ぎ、忠明を生みます。家康の娘と結婚したことから、奥平家も松平姓を許されました。
久松松平家(定綱の家系)が高田へ移封になると、忠雅(忠明の子である忠弘の孫)が藩主として桑名へ入りました。
文政6年(1823)に久松松平家が桑名へ戻ると、奥平松平家は武蔵国忍藩(現在の埼玉県行田市)へ移り、忍で幕末を迎えました。
そのため奥平松平家の史料は行田市に残されています。

 

『松平家四百年の歩み 長篠城より忍城へ』
奥平松平家の歴史をじっくりと辿ることができます。

『松平家四百年の歩み 長篠城より忍城へ』(大沢 俊吉/著  講談社・音羽サービスセンター(製作) 1970)

 

 

それにしても久松家や奥平家だけでなく、家康を中心に親戚関係でつながる家と人、複雑すぎます。
それぞれの家や人にさまざまな思いや野望があって・・・
家康はこれら膨大な親戚関係をすべて把握していたのでしょうか。

 

本やドラマに登場する人物は、描かれ方によってずいぶん印象が異なります。
本当はどんな人たちだったのでしょう?
元々、人はいろんな側面を持ち合わせているということでしょうか。

 

いずれにしても今とは異なる時代を生きた人たち、現代の尺度で測るのは難しいかもしれませんね。
図書館の資料を通して家康の時代、当時の桑名、そしてそこに生きた人々に思いを馳せてみませんか?

 

 

 

<紹介資料>
『桑名松平伝来資料史料調査報告書 鎮國守國神社所蔵資料目録』 桑名市教育委員会 2004.3 AL/025/ク/
『御家譜』 L/AKI/ROM/0300
『松平家四百年の歩み 長篠城より忍城へ』大沢 俊吉/著 講談社・音羽サービスセンター(製作) 1970 L/205/オ/江戸

<志るべ>

 

カテゴリー:桑名・三重 | コメント (0) | 
2023年3月17日(金)AM12:00|投稿者:KCLスタッフ

#kclスタッフおすすめ本 『桑名ふるさと検定 桑名のいろは』

【 歴史を学ぶ 】

 

『桑名ふるさと検定 桑名のいろは』
(桑名ふるさと検定実行委員会ほか/編 桑名商工会議所 2007年刊)

 

 

図書館で働いていると、こう尋ねられる事がよくあります。
「桑名の歴史について知りたいのですが、どんな本を読めばいいですか?」

 

この時点で、スタッフの頭にはいくつかの考えが浮かびます。
「歴史」とは、どの辺りを指すのか(桑名の起源から?江戸時代?それとも?)
簡単な情報が欲しいのか、詳しい情報が欲しいのか。
お子さまだった場合、あまり難しい漢字が多い本は紹介出来ないな、等々。
お尋ねいただいた時点で簡単な聞き取りを行い、どんな本をお求めなのかがはっきりしたら、本探しに取りかかります。

 

でも、はっきりと目的がある訳ではなく、ただざっくり「桑名の歴史が知りたいなぁ」と思ってお尋ねいただく方もたくさんいらっしゃいます。
そんな時に、こちらから「どんな歴史を?時代は?項目は?どの程度の情報が?」とお尋ねしても、いやちょっとそこまで…と困惑させてしまってはいけません。
せっかく興味を持っていただいたこの機会に、ならば、とお渡ししたいのが『桑名ふるさと検定 桑名のいろは』なのです。

 

*「桑名ふるさと検定」は、桑名市の魅力を市内外の人に再発見してもらう事を目的に2008年3月~2014年12月まで実施されました

 

「市民が自ら桑名のことを知って桑名を好きになり、それを周囲の方、ひいては全国に情報発信していく中で、桑名のまちづくりに関与していただくこと」を念頭に、わかりやすく面白く作られた本は、オールカラーで写真も多く、そして索引もばっちり付いています。

 

自然と歴史文化と観光桑名のくらしの三つの章に分けられ、地形や起源から桑名藩のこと、桑名の文化、方言まで。
幅広い内容がぎゅぎゅっと詰まった一冊で、これを読めば「桑名に詳しくなった!」と思えます。

 

でも、そんな本…分厚いんでしょう?と思われた方は、どうかご安心を。
魅力が詰まった一冊ながら、全部でたったの236ページ!
コミックスが大体一冊200ページ程ですので、そんなに分厚くありません。
全部を読まずとも、索引で興味のある項目だけ探して読んでしまう事も出来ます。

 

小学校高学年ぐらいの方ですと、一人で読むことが出来るかもしれません。
もう少し年齢が下の方は、大人の方にお手伝いいただいて、一緒に桑名の歴史を楽しんでみるのはいかがでしょう?

 

今作を読んで、「面白かったなぁ!」と満足するも良し。
「いやちょっとこの項目についてもっと詳しく」と思われた方は、桑名市発行の『桑名市史』もありますので、ぜひ!
『桑名市史』は本編(1098ページ)、続編(854ページ)、補編(715ページ)の三巻構成です。
気力、体力、諸々整った状態で手に取られる事をオススメします。

 

 

桑名市のホームページでは、大人の方、お子さまそれぞれが見やすい「桑名の歴史」について紹介されています。

大人の方向け 「桑名の歴史をたずねて」
お子さま向け 「桑名市の歴史」

 

最後に、『桑名ふるさと検定 桑名のいろは』で紹介されていた桑名の方言クイズをひとつ、ご紹介します。

 

「今日は電車が ツンドッテ、座レンクテ、シッカリ エラカッタワ。」
「机をツッテンカ」

 

答えが気になる方は、p207を開こう!

 

 

▼本の貸出状況は、こちらから確認いただけます
『桑名ふるさと検定 桑名のいろは』

『桑名市史 本編』(近藤 杢/編,平岡 潤/校補 桑名市教育委員会 1987年刊)
『桑名市史 続編』(桑名市教育委員会/編纂 桑名市教育委員会 1987年刊)
『桑名市史 補編』(近藤 杢/編,平岡 潤/校補 桑名市教育委員会 1987年刊)

 

▼出版者
桑名商工会議所

 

 

 

※次回更新は2023年3月31日(金)の予定です

2023年2月14日(火)AM12:00|投稿者:KCLスタッフ

桑名ゆかりの有名人

こんにちは、かぶらです。
近頃、テレビ番組や新聞などで桑名ゆかりの人物が取り上げられているのをよく目にします。
やはり、大河ドラマの影響って凄いんだなぁと驚く毎日です。

 

ところで、今回の大河ドラマでも活躍する「桑名ゆかりの人物」に、どんな人がいるかはご存じでしょうか?
よくは知らないけれど、名前は聞いた事がある!というあの人やこの人も、実は桑名にゆかりがあるのです。

大河ドラマをきっかけに戦国時代に興味を持たれた方も。歴史の本は何だか難しそうだから…とこれまで避けていた方も。
どなたでも手に取りやすく、わかりやすい作品を今回はご紹介いたします。

 

 

まずは、徳川家康を支え、「戦国最強」ともいわれた徳川四天王・本多忠勝

柿安コミュニティパーク(吉之丸コミュニティパーク)に銅像が建っているので、ご存じの方も多いのではないでしょうか?

 

小牧長久手の戦いや、小田原攻めなど数々の合戦でその豪勇を賞賛された忠勝。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いでまた大功を立て、慶長6年(1601)4月24日、桑名藩初代藩主として桑名へ入りました。

忠勝は「慶長の町割」といわれる大規模な町の整備を行い、今も町割りの名残が随所に見られます。
「慶長の町割」の様子は、船馬町で酒屋を営んでいた太田吉清が当時の出来事を記した『慶長自記』に残されています。
『慶長自記』については、過去のブログでご紹介していますのでご覧ください。

「『慶長自記』から見る桑名」(2017.7.11公開)

 

 

慶長15年(1610)10月18日に63歳で亡くなった忠勝は、桑名の浄土寺に葬られました。

 

『本多忠勝 コミック版日本の歴史 53』
(加来 耕三/企画・構成・監修,井手窪 剛/原作,かわの いちろう/作画 ポプラ社 2016年刊)

 

忠勝が用いた武器として有名な「蜻蛉切」などの三名槍や、“徳川に仇なす”といわれた「村正」について解説された本。

 

『名槍図鑑』
(ホビージャパン 2021年刊)

 

 

二人目は、徳川家康の危機を救った人物として名高い、服部半蔵です。

 

天正10年(1582)6月2日、京都本能寺で織田信長が明智光秀に討たれた時、家康は堺にいました。
身の危険を感じた家康は、わずかな家臣を連れて伊賀を抜け三河の国へ帰ります。
この時、地元の土豪を説得し、警固に付けて無事に伊賀を抜けさせたのが、先祖の出自が伊賀である服部半蔵正成でした。

その後、遠江国に八千石を賜り、関東入国後に伊賀同心200人を預けられました。
服部石見守正成が正式な名乗りで、慶長6年(1601)に亡くなります。

 

正成の子、正就が父の跡を継ぎ、八千石の内の三千石を弟の正重に分け与えられました。
後に正成の子孫達は桑名藩の家老職となり、「半蔵」の名乗りは正重の家が継ぎました。

 

幕末、正重の家系の正義が桑名藩の家老を勤めました。
彼は21歳の時に家老となり、京都所司代として京都にいる藩主・松平定敬を支えます。
正義の実弟は同じく家老の酒井孫八郎で、幕末の桑名藩は彼らの奔走により再興されました。

 

『服部半蔵 コミック版日本の歴史 56
(加来 耕三/企画・構成・監修,水谷 俊樹/原作,早川 大介/作画 ポプラ社 2017年刊)

 

虚実混在の人物の墓から架空の主人公など、全国各地にある不思議な墓や意外な墓を紹介。
東京にある服部半蔵正成の墓や、皇居の半蔵門についても取り上げられています。

 

『お墓からの招待状』
(合田 一道/著 北海道出版企画センター 2017年刊)

 

 

最後は、徳川家康の孫・千姫です。

千姫は慶長2年(1597)、京都伏見で生まれました。
父親は徳川2代将軍・秀忠、母親はNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」のヒロイン・江。
母方の祖父は浅井長政、祖母は織田信長の妹・お市の方です。

 

慶長8年(1603)千姫は、母方のいとこにあたる豊臣秀頼に嫁ぎます。千姫わずか7歳、秀頼11歳の政略結婚でした。
元和元年(1615)、大坂夏の陣で大坂城は落城し、義母・淀殿と秀頼は自害します。
千姫は家康の命により落城前に助け出されました。
助け出された千姫は江戸に戻る途中で桑名に立ち寄っています。
この時の桑名城主が、本多忠勝の嫡男・忠政です。

 

桑名から熱田へ向かう千姫の旅の供を務め、七里の船旅を指揮したのが、忠政の嫡男・忠刻でした。
忠刻は美男な上、剣の名手でもあり、この道中で千姫が忠刻を見初めたといわれています。
江戸に戻った千姫は祖父・家康に、忠刻に嫁ぎたいと申し出ました。こうして二人の結婚が実現。
この時、千姫の化粧料(持参金)として員弁郡八田郷一万石と鉱山が桑名藩領になりました。
元和3年(1617)に国替えで本多家が姫路に移るまでの10カ月、二人は桑名で新婚生活を過ごしました。

千姫が奉納したといわれる祖父・家康の木像が、今も春日神社に残されています。

 

 

忠勝が桑名で行った慶長の町割りの様子や、大坂城を脱出した千姫が忠刻と出会う様子などがマンガでわかりやすく描かれている作品。

『夢の回廊 慶長の町割と千姫物語』
(古城 武司/漫画 2001年刊)

 

時代に翻弄されながらも、凛として生きた千姫の生涯を描いた小説。

『姫君の賦』
(玉岡 かおる/著 PHP研究所 2018年刊)

 

 

いかがでしたでしょうか?
今回ご紹介した本は、ごく一部のものです。
忠勝や半蔵、千姫についてもっと知りたい!と思われた方は、ぜひ中央図書館で本を探してみてください。
桑名や三重県に関する本は、4階の「桑名・三重コーナー」や「歴史の蔵」にございます。
子どもさんにも読みやすい本は、3階の「YL 子どものための郷土資料」にご用意しています。
希望の本が見つけられない時は、いつでも図書館スタッフにお尋ねください。

 

 

<かぶら>