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妖刀村正と呼ばれる理由

2025年4月8日(火)|投稿者:kclスタッフ

こんにちは、なばなです。

史上二度目の大阪万博の開催が目前に迫ってきました。

 

今回の万博では関西パビリオンの三重県ブースで、なんと、桑名宗社に奉納されている村正の太刀が展示されるそうです。

桑名宗社の村正が選出されるとは…

驚きですが、桑名市民にとっては喜ばしいことですね。

 

村正を鍛刀した千子村正は、桑名で活躍した刀匠でした。 そして、千子村正の刀派は千子派と呼ばれ、代々村正の名を継ぎ、優れた刀をいくつも作りました。

 

今回展示されるのは、二代目村正が制作した二振りの太刀です。

それぞれに「勢州桑名郡益田庄藤原朝臣村正作/天文十二天癸卯五月日」と銘があり、一方の鎬地(しのぎじ)には「春日大明神」、もう一方には「三崎大明神」と刻まれています。

この二振りは第二次世界大戦の時、当時の宮司により刀身を保護するために漆が塗られました。

長年そのままでしたが、令和元年(2019)に「春日大明神」の一振りが研磨され、本来の美しい刀身を取り戻しました。

今回、この「春日大明神」の太刀が展示され、もう一振りの「三崎大明神」の太刀も研磨・修復後に展示される予定です。

 

全国的に「名刀村正」として知られている村正ですが、もう一つ別の呼称があります。

それは「妖刀村正」です。

 

なぜ、 村正の刀が「妖刀」と呼ばれるようになったのか。

それは、村正が、徳川家康の祖父、父、妻といった一族の死因、負傷の原因となり、さらには家康自身が、村正によって負傷したという逸話があるからです。

これにより村正は、将軍徳川家に禍をもたらす「妖刀」とされました。

 

けれども客観的に見て、この話は正しいといえるのでしょうか?

 

 

『村正 伊勢桑名の刀工 刃文にやどる「妖刀」の虚と実』(桑名市博物館/編集 桑名市博物館 2016.9)

 

こちらは桑名市博物館の特別企画展の図録です。

逸話の元になった事件は、『徳川実紀』(歴代将軍の事歴を叙述した史書)に記録があるものの、使われた刀については不明瞭な点もあり、すべての刀が村正だったかは断言できない、とあります。

 

『三重県刀工・金工銘鑑』には、徳川家の本拠地である岡崎は桑名に比較的近く、よく切れると評判の村正の刀は、広く岡崎の武士の手に渡っていたため、村正による事件も多かったのではないか、と述べられています。

 

岡崎の武士を率いる立場の徳川家は、特に村正で怪我をしやすい環境にあったと考えられますね。

その結果、家康は村正に対して、次々に一族を傷つける不吉さを感じたのかもしれません。

つまり、岡崎の武士に人気があったばかりに、徳川一族に禍をもたらす刀と言われるようになったわけで...

 

村正、とばっちりでは…? と言いたくなりますね。

 

さらに『村正 伊勢桑名の刀工 刃文にやどる「妖刀」の虚と実』には、『徳川実紀』の記録を見ると村正の刀を忌むことが、幕府内の慣習として定着していたとみて間違いない、と記されています。

いずれにせよ、幕府に村正の刀を不吉とする見方は浸透していったようです。

 

また、時が経つにつれ、村正の逸話は変化していきました。

徳川家にとって不吉な刀から、徳川家に限らず怪我をさせる刀へと変わっていったのです。

江戸の世間話を書き溜めた随筆集「耳嚢(みみぶくろ)」(南町奉行・根岸 鎮衛[ねぎし・しずもり]/著)には、当時の村正の逸話があり、その変化が確認できます。(『日本庶民生活史料集成 第16巻 奇談・紀聞』収録)

 

その上、追い打ちをかけるように、戯曲や芝居などの創作物で、村正が凶器として取り上げられました。

 

村正、とばっちり、再び…

 

村正の刀による悲劇を演じた「大願成就殿下茶屋聚(たいがんじょうじゅてんがちゃやむら)」や「八幡祭小望月賑(はちまんまつりよみやのにぎわい)」などの歌舞伎が続々と登場しました。

歌舞伎は当時は大人気でしたので、妖刀村正が世間に広まるのも早かったのでしょう。

 

手にするのもためらわれる村正ですが、むしろ「徳川家に忌避された刀」であることが好まれ、幕末には討幕派の武士が村正を求めるということもあったようです。

 

『特別企画展 村正Ⅱ 村正と五箇伝』(桑名市博物館/編集 桑名市博物館 2018.10)

 

こちらには、官軍の中心人物の有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや・たるひとしんのう)、三条実美や西郷隆盛などが村正を所持していたとあります。

 

村正にすれば「そんな験担ぎされても…」という思いかもしれませんが。

 

こうして現在に至るまで妖刀の逸話が広まってしまった村正ですが、刀自体はどの時代においても高く評価されました。

徳川幕府に仕えながらも、その実用性と美しさに魅了されて密かに所持していた武士も少なくありませんでした。

忌避されていたはずなのに、徳川家所蔵の刀の中にも村正は残っています。

 

「名刀」故に「妖刀」と呼ばれるようになり、「妖刀」と呼ばれてもなお求められた村正の刀。

だからこそ、その魅力は「妖刀」と呼ばれるのにふさわしい気もします。

大阪万博に行かれる際は、ぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

 

<参考資料>

『三重県刀工・金工銘鑑』(田畑 徳鴦/著 三重県郷土資料刊行会 1989)

『村正 伊勢桑名の刀工 刃文にやどる「妖刀」の虚と実』(桑名市博物館/編集 桑名市博物館 2016.9)

『特別企画展 村正Ⅱ 村正と五箇伝』(桑名市博物館/編集 桑名市博物館 2018.10)

『桑名の伝説・昔話』(近藤 杢/編,平岡 潤/編 桑名市教育委員会 1965)

『日本名刀物語』(佐藤 寒山/著 白凰社 1962.6)

『日本刀名工伝』(福永 酔剣/著 雄山閣 2022.2)

『日本刀工刀銘大鑑』(飯田 一雄/著 淡交社 2016.3)

『日本刀の教科書』(渡邉 妙子/共著,住 麻紀/共著 東京堂出版 2014.10)

『刀剣画報 村正・蜻蛉切と伊勢桑名の刀』(ホビージャパン 2023.12)

『日本庶民生活史料集成 第16巻 奇談・紀聞』(谷川 健一/編集委員代表 三一書房 1970.10)

<なばな>

 

春の見つけかた

2025年3月3日(月)|投稿者:kclスタッフ

こんにちは、志るべです。
日差しに春のぬくもりが感じられるようになってきた今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。

 

 

春風に誘われて「今日は薄手のコートで行こう!」と外に出て、「やっぱりまだ早かった・・・」ってことありませんか?
春の見極めはむずかしい。

 

この季節、口ずさみたくなる歌に「早春譜」があります。
♫春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず♫(『学園愛唱歌選集 ピアノ伴奏編』より)

 

三月に入るとウグイスは忘れずに鳴き始めます。
春の訪れをじっと待って、「今」という時に鳴く。
人間はついその日の気温に惑わされ、薄着をして風邪をひいたりしますが、鳥たちはもう少し冷静に「時」を判断しているようです。

 

ではいったいどうやってその時を知るのでしょう?
動物行動学者の日高先生にきいてみましょう。

 

日高さんは小さい頃から虫が大好きな昆虫少年でした。その後もさまざまな生き物の研究をつづけ、動物行動学者になりました。
動物の行動を調べると、その動物がどのように環境に適応しているのか、どのような社会を作っているのか、ほかの種とどのような関係を持っているのかなど、たくさんわかることがあるそうです。

 

春の数えかた』(日高 敏隆/著 新潮社 2001.12)

 

日高さんは滋賀県立大学の学長として彦根で多くの時を過ごされました。
こちらは、その時に書かれた文章をまとめた一冊です。
とてもわかりやすく書かれ、この作品で第50回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞されています。

 

さて、ウグイスです。
小鳥が、日長(ひなが)、つまり一日の内の昼の長さで季節を知ることは半世紀以上前に実験的に明らかにされているそうです。
けれど日長は気温とは関係がない。
日の長さではもう春でも、年によってはまだ寒い日が続くこともある。
日高先生によると、生き物たちは温度を積算しているというのです。
寒い日が三日続いたら、その後四日温かい日が続く。
三寒四温を経て次第に春になっていきます。
その揺れ動く毎日の気温に反応するのでなく、鳥や虫たちは気温を積算している、と。
それもただ足していくのではなく、ある一定温度より低い、極端に寒い日の気温は数えません。この一定の温度は発育限界温度と呼ばれているそうです。
そして、積算した気温の総量が一定値を越えると、虫たちは、ああ春になったなと感じ、卵から孵ったり、サナギが幼虫になったりするというのです。

 

くわしくは、本文をご覧くださいね。

 

 

ところで、わたしたちに春を感じさせてくれる「ホーホケキョ」の声。
ヒナは自然にさえずることができるようになるのでしょうか?
それとも学習の賜物?
もう一度、日高先生に聞いてみましょう。

 

 

生き物たちに魅せられて』(日高 敏隆/著  青土社 2014.10)

 

 

こちらでは、ウグイスだけでなくチョウにカエル、クジャク、トンボ、イヌ、ネコ、ゾウといろいろな動物たちの不思議でおもしろい行動について語られています。日高さんの生き物への興味、愛情が詰まった一冊です。

 

さて、ウグイスです。
ウグイスのオスが大人になったら「ホーホケキョ」と鳴くことは、決まっているのだそうです。遺伝的にプログラムされている、と。
けれど自然にさえずれるようになるかというとそうではなくて、やっぱり親のさえずりを聞いて学習しなければなりません。隔離して何も聞かせないでおくと、大人になっても「ホーホケキョ」とは鳴きません。
それもカラスの声には無関心で、ウグイスの声を聞かせると熱心に学習するというのです。
おもしろいですね。

 

 

みなさんは、春の訪れを何に感じますか?
ここ桑名で春を知らせるといえば、白魚。
あの芭蕉さん(松尾芭蕉)も旅の途中で桑名を訪れ、白魚の句を詠んでいます。

 

貴重な白魚、どうやっていただきましょうか。
ふっくらと卵でとじた白魚丼には、はまぐりのお吸い物を添えて・・・
かき揚げもいいですね。
やっぱり、溜まり醤油と砂糖で炊き上げた紅梅煮でしょうか。
三重の味 千彩万彩』によると、白魚は過熱すると白くなるけれど、溜まり醤油で煮るとほんのり赤みを帯びて、紅梅を思わせる色合いとなるところから紅梅煮と名付けられたとか。
ちょっとお高いですが、春を味わいたい一品です。

 

気温を積算する能力は備わっていませんが、人間も動物です。
自分の五感を信じて、春を見つけに出かけましょう。
ただし、風邪をひかないよう、くれぐれも着るものにはお気をつけくださいね。

 

<参考資料>
学園愛唱歌選集 ピアノ伴奏編』(松山 祐士/編 ドレミ楽譜出版社 1994.12)
春のかぞえ方』(日高 敏隆/著  新潮社 2001.12)
生き物たちに魅せられて』(日高 敏隆/著  青土社  2014.10)
三重の味 千彩万彩』(みえ食文化研究会/編集 みえ食文化研究会  2006.6)

<志るべ>

 

 

 

浮世絵ってなんだ?

2025年2月1日(土)|投稿者:kclスタッフ

こんにちは、かぶらです。
暦の上ではもうすぐ春。しかし、まだまだ寒い日が続きますね。
あんまり寒いと家に籠りがちになってしまいますが、少しでも暖かな日にはお散歩がてら図書館へお越しになりませんか?

 

中央図書館では、3月25日(火)まで4階「歴史の蔵」前にて郷土特集「浮世絵に見る桑名」を開催中です。
あの有名絵師が描いた桑名や、桑名をテーマとした浮世絵によく見られる“ある物”についてなどをパネルでご紹介しています。
江戸の人々が見た色鮮やかな「描かれた桑名」を、ぜひご覧ください。

 

 

ところで、浮世絵と聞くと、どんな絵を思い浮かべますか?
日本髪を結った美人画、ド迫力の役者絵、風景を鮮やかに切り取った名所絵…
思い浮かぶものは数あれど、ではその浮世絵とは一体何なのか?どうやって描かれているの?
今回は、そんな知っているようで実は知らない浮世絵にまつわる資料をご紹介します。

 

 

まずは、浮世絵とは何か?どう描かれているのか?の疑問を一挙に解決してくれるこちら。

『面白いほどよくわかる浮世絵入門』 (深光 富士男/著 河出書房新社 2019)

日本文化歴史研究家でもある著者が「いいなぁ」と思った浮世絵を厳選し、それをもとに浮世絵の世界を紹介してくれる入門書です。
ただ作品そのものだけではなく、浮世絵の制作工程や、絵師に比べると見落とされがちな彫師・刷師による超絶技巧なども紹介されています。
浮世絵が生まれた江戸時代から明治時代初期の新聞錦絵まで、豊富な浮世絵をオールカラーで楽しめる一冊です。

 

 

そういえば、どこかで桑名の風景を描いた浮世絵を見たことがあるような、ないような…?
でも誰の作品だったのかわからない!という方におすすめなのが、こちら。

 

『北斎・広重・国芳』 ([葛飾 北斎/ほか画],桑名市博物館/編集 桑名市博物館 2013)

2013年に桑名市博物館で開催された「特別企画展 北斎・広重・国芳 浮世絵に見る東海道五十三次・桑名」の公式図録です。
桑名市博物館所蔵作品のほか、全国各地からお借りした桑名を描いた浮世絵が収録され、葛飾北斎、歌川広重、歌川国芳等が描いた色鮮やかな桑名を一挙にご覧いただけます。
作品解説や論考もあり、読み応えたっぷりです。

 

 

 

日本各地の博物館や美術館に大切に収蔵されている浮世絵は、世界中の博物館や美術館でも見られます。
中でもイギリスの大英博物館では「北斎展」を開催するほどのコレクションがあり、現地の人々にとっても浮世絵は身近な存在となっているようです。
世界中の人々を魅了する浮世絵。
そんな浮世絵に魅せられた、ある一人の芸術家の人生を書いた作品があります。

 

『たゆたえども沈まず』 (原田 マハ/著 幻冬舎 2017)

売れない画家・ゴッホと、そんな兄を献身的に支える弟で画商のテオドルス。
代表作「ひまわり」や、本書の表紙にも使用された「星月夜」で知られ、日本人に広く愛されるゴッホですが、生前に売れた彼の作品はたった1点だけだったといいます。
そんな彼が抱えた孤独と闇、そこに刺した一筋の光“浮世絵”との出会いとその後を、フィクションとノンフィクションを織り交ぜて書かれた、読み始めたら手を止めることができない作品です。

 

 

 

本書に登場する日本人画商「林忠正」は、明治期に実在した人物です。
ゴッホはよく知っていても、彼の名はあまりなじみがない、という方も多いのではないでしょうか。
彼とゴッホが実際に友人関係にあったかはわかりませんが、当時の日本では屑同然に扱われた浮世絵を、世界に誇る日本の芸術として広めた手腕を知ることが出来る一冊がこちら。

 

『海渡る北斎』 (神山 典士/文,蟹江 杏/絵 冨山房インターナショナル 2023)

林忠正は嘉永6年(1853)に越中国高岡(現在の富山県高岡市)に生まれ、大学南高(現在の東京大学)でフランス学を学びました。
明治33年(1900)にフランス・パリで開催されたパリ大博覧会では、日本の事務総長を務めています。
語学力と商才、そして美術作品に対する深い愛情を持ち合わせた彼がいたからこそ、貴重な浮世絵が失われることなく今も世界中で大切にされていることがよくわかる一冊です。

 

 

 

本書では北斎の代表作「神奈川沖波裏」に深く影響を与えた、といわれる「波の伊八」についても取り上げています。
「波の伊八」とは、彫工・武志伊八郎信由(たけしいはちろうのぶよし)のことで、彼の彫刻作品「波に宝珠」は北斎の「神奈川沖波裏」の波によく似ています。
伊八の作品が北斎に影響を与えたように、北斎をはじめとした浮世絵師の作品もまた、後の芸術家に多くの影響を与えました。

 

『新版画の世界』 (クリス・ウーレンベック/[ほか]著 パイインターナショナル 2023)

明治に入ると、新政府は近代化を推し進めるため西洋の技術をどんどん取り入れました。
印刷技術もそのひとつで、300年もの間日本で広く用いられてきた木版印刷は衰退し、版元の数も次第に減ってしまいました。
それでも、月岡芳年や小林清親ら現役浮世絵師により、版画の技術は紡がれていきます。
当時、世界の愛好家に好まれたのは北斎や歌麿など江戸期の有名浮世絵師の作品でしたが、国内では伊東深水や吉田博、川瀬巴水など新しい作風の絵師が登場し、「新版画」が確立されました。
現在では新版画も江戸期の浮世絵師と同様に世界で愛され、Apple者の共同創業者、スティーブ・ジョブズ氏も新版画の熱心なコレクターであったそうです。
オランダの美術商でキュレーターである本書の著者も日本の版画に魅了された一人で、各地で日本美術を紹介する展覧会を企画し、アムステルダムの私設美術館「日本の版画」の館長兼キュレーターを務めています。
そんな彼が厳選した美しい「新版画」を楽しめる一冊です。

 

 

 

今回ご紹介いたしました資料の他にも、当館には浮世絵に関する資料がたくさんございます。
図書館へ行くのは難しい…という方は、次のサイトからご覧いただけます。
お家で、もしくは旅先などで美しい日本の芸術に触れてみてください。

 

●国立国会デジタルコレクション
国立国会図書館所蔵の錦絵のうち、江戸期のものはほぼ全て画像公開されています。
対象欄の「錦絵」を選択し、階層欄の「巻号を除く」のチェックを外して検索してください。

 

●ジャパンサーチ
ジャパンサーチは、国が保有する様々な分野のコンテンツのメタデータを検索・閲覧・活用できるプラットフォームで、国立国会図書館がシステムを運用しています。
気になる浮世絵師の名前や作品を入力すると、様々な資料をご覧いただくことができます。

 

●デジタル浮世絵博物館
立命館大学アート・リサーチセンターが運用する浮世絵のデータベースです。
国内だけでなく、世界の美術館・博物館のデータベースからも浮世絵をご覧いただけます。

 

 

<参考資料>
『面白いほどよくわかる浮世絵入門』(深光 富士男/著 河出書房新社 2019)
『北斎・広重・国芳』([葛飾 北斎/ほか画],桑名市博物館/編集 桑名市博物館 2013)
『たゆたえども沈まず』(原田 マハ/著 幻冬舎 2017)
『海渡る北斎』(神山 典士/文,蟹江 杏/絵 冨山房インターナショナル 2023)
『新版画の世界』(クリス・ウーレンベック/著,ジム・ドウィンガー/著,フィーロ・オウウェレーン/著,古家 満葉/訳監修,鮫島 圭代/訳 パイインターナショナル 2023)
『海を越えた日本人名事典 新訂増補』(富田 仁/編集 日外アソシエーツ,紀伊國屋書店(発売) 2005)

 

<かぶら>

 

児童図書館員のパイオニア小河内芳子さん

2024年11月3日(日)|投稿者:kclスタッフ

こんにちは、志るべです。
秋も深まってまいりましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
早いもので今年も残すところ、ひと月余りとなりました。

 

 

8月のブログ「寅子と三淵さんと澤田さん」では、法曹界のパイオニア三淵嘉子さん、そして政界のパイオニア澤田ひささん(桑名出身)をご紹介しました。
今回はもうひとり、桑名ゆかりのパイオニアをご紹介したいと思います。

 

その人は、小河内芳子(こごうち よしこ)さん。
「児童図書館員のパイオニア」と評される方です。
小河内さんは明治41年(1908)3月16日、桑名町に誕生しました。
三淵さんの生まれる6年前になります。

 

ご自身について語られた一冊がこちら、

 

『公共図書館とともにくらして』(小河内 芳子/著 いづみ書房 1980)
以前ご紹介した「国立国会図書館デジタルコレクション」の送信サービスでご覧いただくことができます)

 

なぜ図書館員になろうと思ったのか。どのようにして児童サービスに携わり、パイオニアと評されるようになったのか。

 

小河内家は桑名潘の重役で、幕末には内堀に屋敷がありました。
(「桑高百周年シリーズ15 小河内芳子(こごうちよしこ)さん(みえきた市民活動センター)」西羽 晃/著 http://www.mie-kita.gr.jp/kuwako_rekisi/15.html より)
桑名町の小学校、女学校を卒業した小河内さんは、大正14年(1925)、上京して目白の日本女子大学国文科に入学します。
女性に選挙権が認められていなかった時代、故郷を離れ単身上京し、大学に入ろうという女性は多くなかったのではないでしょうか。

 

その後、大学を「意に反して中途退学させられ」いったん桑名に帰ると、経済的に自立する方法を模索します。そして、図書館員になる道をみつけます。

 

小河内さんの父親は、桑名町の助役をつとめられた方ですが、父親について、「読書好きで、当時としては自由主義的思想を持っていたらしく思われます」と書いています。

 

そして、こうつづけています。

 

女子大にいきたいといったときも、意に反して中途退学させられたときも、図書館講習所にいきたいといったときも、そして勝手に就職口をきめてきたときも、文句ひとついわず許してくれた父でした。この父から私が受けついだ大きな遺産は「人を差別しない」ということでした。それを言葉でなく態度で示してくれたことでした。

 

さらに、

 

差別の意識、それは日々それを生みだし、それのあることを利益とする社会構造がなくならないかぎり、消滅し去ることはないでしょう。(中略)人びとは理屈ではわかっているのに感覚的にそれを拒否する一面をもっています。その理由の一つは差別の意識は親から子どもに暗黙のうちに伝えられ、心の奥深く植えつけられるものだからでしょう。その点で私は差別をしない意識を植えつけられたことを感謝しているのです。

 

とあります。
父親から受けとった大切なものが、小河内さんの考え方、生き方の核となっていることがわかります。

 

まず、図書館員の資格を得るため、文部省図書館講習所に入ります。図書館について学ぶ中で、公共図書館に児童サービスがあることを知り、興味を持ち始めます。講習所に入った時は補欠での合格でしたが、卒業時の成績は首席で、答辞を読みました。
一年間の学びの後、昭和5年(1930)4月、東京市立京橋図書館で図書館員としての第一歩を踏み出します。それは、この先長年にわたる児童サービス活動のスタートでもありました。

 

ちなみに今、図書館で本を読むのにお金を払うなんて考えもしません。それは、図書館法十七条「公立図書館は、入館料その他図書館資料の利用に対するいかなる対価をも徴収してはならない」という「図書館無料の原則」があるからです。
図書館法が公布されたのは昭和25年(1950)4月30日。
戦前、小河内さんが図書館員となった昭和5年(1930)当時は「閲覧料」をとっており、市立図書館館則によると、「普通閲覧券一回・金二銭」であった、と書かれています。
ただし、そんな時代であっても、児童はすべて無料でした。

 

児童サービスに熱意を持った館長のもと、小河内さんは児童室を手伝い始めます。けれど、しだいに戦争に向かっていく世の中の流れに図書館も歩調を合わせざるをえなくなっていきます。
文章からは、小河内さん個人の経歴だけでなく、当時の図書館、そして社会が見えてきます。

 

戦後は、現場で児童サービスを実践しつつ、対外的にも児童サービスの普及活動に力を尽くしました。
昭和28年(1953)、児童図書館研究会を設立して初代会長となり、以降、昭和57年(1982)まで約30年活動をつづけました。

 

 

『児童図書館と私  上』(小河内 芳子/著 日外アソシエーツ 1981)
『児童図書館と私  下』(小河内 芳子/著 日外アソシエーツ 1981)

 

こちらは、小河内さん自身の著作の一部と、小河内さんとかかわりのあった方による文章をまとめたものです。
中には、子どもたちにとって(大人にとっても)公共図書館が今よりも生活に密着した存在であったことが感じられるエピソードも紹介されています。当時の社会状況の中、単に読書をすすめるだけでなく、深く子どもたちにかかわっていたことがわかります。

 

次の論文では、小河内さんの経歴、活動、そして小河内さんが児童サービスに与えた影響について検証、考察されています。

 

小河内芳子:児童サービスのパイオニア」(汐崎順子著 「Library and information science」 / 三田図書館・情報学会 編 (60), 29-60, 2008)https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00003152-00000060-0029.pdf?file_id=32188

 

 

最後に、小河内さんが翻訳された絵本を一冊ご紹介します。

 

『おかあさんどーこ』(ローナ・バリアン/さく こごうち よしこ/やく アスラン書房 1994)

 

きょうは特別な日。のねずみのヘーゼルはすみれの花束を持っておかあさんのうちに行きました。でもおかあさんはいません。おかあさんはおばあさんのうちに行ったのです。でも、おばあさんはいません。ひいおばあさんのうちに行ったのです。でも、ひいおばあさんはいません。ひいひいおばあさんのうちに行ったのです。そしてひいひいおばあさんは・・・

 

原題は『MOTHER’S MOTHER’S DAY』
特別な日は「母の日」でした。
そして、小河内さんのつけたタイトルは「おかあさんどーこ」
おかあさんをたずね歩くのねずみたちの愛らしいこと。

 

あわただしい年の瀬を迎える前のひととき、桑名の先人を想って、読書の時間を楽しみませんか。

 

 

<引用・参考資料>
『公共図書館とともにくらして』(小河内 芳子/著 いづみ書房 1980)
『児童図書館と私  上』(小河内 芳子/著 日外アソシエーツ 1981)
『児童図書館と私  下』(小河内 芳子/著 日外アソシエーツ 1981)
『おかあさんどーこ』(ローナ・バリアン/さく こごうち よしこ/やく アスラン書房 1994)
『小河内芳子追悼文集』(児童図書館研究会/編集 児童図書館研究会 2012)
「小河内芳子:児童サービスのパイオニア」(汐崎順子著 「Library and information science 」/ 三田図書館・情報学会 編 (60), 29-60, 2008)
「桑高百周年シリーズ15小河内芳子(こごうちよしこ)さん(みえきた市民活動センター)」 (西羽 晃/著)

<志るべ>

 

寅子と三淵さんと澤田さん

2024年8月1日(木)|投稿者:kclスタッフ

こんにちは、志るべです。
連日の暑さにもうぐったりですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
水分補給に休養、くれぐれも体調にはお気をつけください。

 

 

 

 

さて、NHK連続テレビ小説、通称「朝ドラ」、ご覧になっていますか?
主人公は、日本で初めて女性弁護士となった「猪爪寅子(いのつめ ともこ)」
物語は、女性がまだ弁護士にはなれなかった時代からスタートしました。
今ではあたりまえのことがあたりまえではなかったそんな時代が、それほど遠い過去ではないことに驚きます。

 

ドラマは実話に基づくオリジナルストーリーで、モデルは三淵嘉子(みぶち よしこ)さん。
三淵さんは昭和13年(1938)、女性として初めて当時の「司法試験」に合格し、昭和15年(1940)に弁護士になりました。

 

三淵さんについて書かれた一冊がこちら

 

三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』神野 潔/著 日本能率協会マネジメントセンター 2024.3』

 

 

三淵さんはいやおうなく戦争に巻き込まれ、昭和19年(1944)から21年(1946)のわずか3年の間に、弟、夫、そして母と父、ご家族4人を亡くされています。
戦後は、昭和27年(1952)女性初の裁判官に、昭和47年(1972)女性初の裁判所長になりました。

 

三淵さんの年譜をたどると「女性初」の称号がついてまわり、その経歴には圧倒されますが、そのことだけを書き立てられるのは、たぶんご本人も不本意なのではないでしょうか。
著者の神野さんもその功績を、「女性であるという自覚より人間であるという自覚の下に生きて来た」という三淵さんの言葉を引用した上で、

 

「女性に対する教育に熱意を持ち、家庭裁判所と少年審判の発展に貢献し、法制審議会や日本婦人法律家協会で活躍するなど、一人の人間として嘉子の残した功績は大きなものがあるからです」(p11~12)

 

と、記しています。
ドラマにも描かれていますが、三淵さんは、家庭裁判所の設立、少年審判に尽力されました。
一人の人間として懸命に仕事に向き合って生きてきた、その結果が「女性初」という称号につながっているのですね。

 

巻末の<参考文献>には、当時の雑誌も紹介されています。
三淵さんが書かれた文章には、今のわたしたちが生きていく上で指針となる言葉がつづられています。
『婦人と年少者』(7-9 1959年)に掲載された「共かせぎの人生設計」という記事からは、三淵さんの仕事に対する考え方が伝わってきます。
こちらは、「国立国会図書館デジタルコレクション」の送信サービスで見ることができます。

 

 

「国立国会図書館デジタルコレクション」はご存じでしょうか?
「国立国会図書館デジタルコレクション」とは、国立国会図書館で収集しているデジタル資料を閲覧できるサービスです。

 

①ログインなしで閲覧可能
②送信サービスで閲覧可能(個人と図書館)
③国立国会図書館内でのみ閲覧可能

 

の三種類に分かれます。

 

①は、インターネットで自由に見ることができる資料です。
②は、登録すれば、ご自身のパソコンで見ることができる資料です(個人向けデジタル化資料送信サービス
登録については、国立国会図書館の利用者登録(個人)をご覧ください。
また、当館にお越しいただければ、4階「歴史の蔵」のパソコンで閲覧することもできます。4階カウンターでご案内いたしますので、ぜひご利用ください。
➂は、国立国会図書館に来館しなければ見ることのできない資料になります。

 

『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』の<参考文献>で紹介している資料はほとんど、➁送信サービスで閲覧できるものです。

 

 

 

ドラマの中で、寅子は新しい「日本国憲法」に力を得て、法の世界に戻ることを決意します。そして司法省に乗り込んで、裁判官として採用するよう訴える場面がありました。
その時の寅子のセリフがこうでした。
「婦人の代議士も誕生しました。婦人の裁判官がいてもおかしくない。違いますか?」
民法改正に携わる寅子が、婦人代議士たちの意見を聞く場面もありました。

 

寅子が司法省の民法調査室で働き始めた頃には、衆議院選挙法改正を受けて総選挙が行われ、初の女性代議士が全国で39人誕生していました。
この39人の中の一人が桑名の女性でした。
桑名から、日本で初めての女性代議士が生まれていたのです。

 

その人は、社会党から立候補した澤田ひささん(明治30年(1897)生まれ)
49歳で日本社会党の新人議員となり、衆議院議員1期を務めました。

 

『三重の女性史』(三重の女性史編さん委員会/編さん  三重県文化振興事業団三重県男女共同参画センター「フレンテみえ」  2009.3 )には、「桑名市で夫とともに時計商を営んでおり社会党から立候補した」(p98)と記されています。

 

またまた、「国立国会図書館デジタルコレクション」を開いてみましょう。

 

『衆議院議員党籍録 第1回帝国議会~第92回帝国議会』 帝国議会衆議院 1957
253コマ:第22回総選挙(昭和21年4月10日)第90回議会(臨時) 日本社会党 三重 澤田ひさ
256コマ:第91回議会(臨時) 日本社会党 三重 澤田ひさ
260コマ:第92回議会 日本社会党 三重 澤田ひさ

 

日本社会党議員のところに、澤田さんの名前がありました。
こちらは、①ログインなしで閲覧可能な資料です。

 

ちなみに、ドラマで寅子は、初代最高裁判所長官である星朋彦の著書の改稿を朋彦の息子、航一と手伝います。
その著書のモデル『日常生活と民法』(三淵忠彦/著)も国会デジタルコレクションで見ることができます。
改稿前の大正15年(1926)版は①ログインなしで閲覧可能、三淵さんが改稿にかかわった昭和25年(1950)版は②送信サービスで閲覧可能な資料です。
ドラマで紹介された、著者の想いを記した序文も読むことができます。

 

昭和25年(1950)版には「関根小郷、和田嘉子補修」(和田は三淵さんの旧姓)とあり、実際は三淵忠彦さんの息子、乾太郎さん(ドラマでは星航一)と改稿を行ったのではないようですが。

 

「国立国会図書館デジタルコレクション」大活躍です。
古い資料だけど見てみたいなと思った時、もしかすると「国立国会図書館デジタルコレクション」にあるかもしれません。
一度検索してみることをおすすめします。

 

 

ドラマの中で、納得できないことに「はて?」と首をかしげてきた寅子ですが、「はて?」を変えていくことの難しさは、今も変わらないのかもしれません。
わたしたちの今は、三淵さんや澤田さんが切り開いてきてくれた道筋の先にあります。
寅子の言葉「憲法にもあるように、よりよく生きていくことに「不断の努力」を惜しまない」ようありたいものです。
図書館には他にも、三淵さんに関する本や、ドラマの台本をもとに小説化した『虎に翼 上』もあります。
ぜひ、そちらもあわせてご利用ください。

 

<引用・参考資料>
『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』神野 潔/著  日本能率協会マネジメントセンター  2024.3  /289.1/ミ/
『三淵嘉子の生涯 人生を羽ばたいた“トラママ” 』 佐賀 千惠美 /著  内外出版社  2024.4  /289.1/ミ/
『三淵嘉子と家庭裁判所』 清永 聡/編著  日本評論社  2023.12  /289.1/ミ/
『三淵嘉子 日本初の女性弁護士』 長尾 剛/著  朝日新聞出版  2024.3  M/913.6/ナガ/
『日本初の女性裁判所長三淵嘉子』 平凡社  2024.4  /289.1/ミ/
『虎に翼 上』 吉田 恵里香/作,豊田 美加/ノベライズ  NHK出版  2024.3  /913.6/トヨ/1
『三重の女性史』 三重の女性史編さん委員会/編さん  三重県文化振興事業団三重県男女共同参画センター「フレンテみえ」  2009.3   L/367/ミ/
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/

<志るべ>

 

 

 

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