「あいたいきもち」
2020年2月16日(日)|投稿者:kclスタッフ
会ひたくて 逢ひたくて 踏む 薄氷
(『B面の夏』 黛 まどか/著 KADOKAWA 1994 より)
こんにちは、「志るべ」です。
みなさま、いかがお過ごしですか。
寒い日がつづきますが、暦の上ではもう春。
冒頭の句も春の句で、季語は「薄氷」です。
『季語辞典』(関屋 淳子/文,山梨 勝弘/写真,富田 文雄/写真 パイインターナショナル 2012)には、「薄氷」は「うすらい」と読み、春先に寒さが戻り、うすうすと張る氷のこと。「うすごおり」とも読む、とあります。
会いたくて薄氷にそっと足をのせる気持ち、わかります。
ですが、この句から「薄氷をバリバリ踏んで、会いたい(逢いたい)人に会いに(逢いに)行く!」という勇ましい気持ちを読みとる女子高生がいるとか・・・
たのもしい限りです。
そもそも「会う」と「逢う」はどう違うのでしょう?
『漢字の使い分けときあかし辞典』(円満字 二郎/著 研究社 2016)によると、「会う」は、人が集まって話などをすること。「人と人とが面と向かって話などをする」場合に用いられる、とあります。
「逢う」は、漢詩では、旅の途中でたまたま一緒になってまた別れる、というような使い方が多く、「一緒にいる時間が貴重である」というニュアンスを持ち、「あう」ことの貴重さに重点を置きたい場合に用いるのがふさわしい、とあります。
「逢瀬」という言葉もありますが、「逢う」には、大切で、何か特別な意味合いが込められているようですね。
いずれにしても「あいたいきもち」には正直に、(「そっと」それとも「バリバリ」?)薄氷を踏んで会いに(逢いに)行った方がいいのかもしれません。
春は一歩を踏み出すのにふさわしい季節です。
もちろん「あいたい」対象は人ばかりではありません。
野の花に魅せられて、野の花に逢いたくて、世界を旅した人がいます。
『野の花に逢いたくて フランス旅日記』(高橋 永順/写真と文 冬樹社 1989)
高橋永順さんは、写真家でフラワーアーティスト。
この本には、フランス各地で出会った野の花の写真と、旅先でのできごとを綴った文章が収められています。
花教室も開設している永順さんの花選びの基本は、「今日はこれをいけたい!」とまっすぐに心に飛びこんで来る花を選ぶこと」(『永順花のレッスン』 高橋 永順/著 文化出版局 1988より)だそうです。
野生動物に会いたくて日本中を駆け巡った人もいます。
『野生動物に会いたくて』(増井 光子/著 八坂書房 1996)
増井光子さんは獣医学博士で、上野動物園の園長もされた方です。
野生動物はどんな風に暮らしているのだろう?その生態に興味を抱いて日本中を巡りました。
動物の定点観察というのは、興味のない人にはなんとも退屈なものです。じっと座ってただひたすら動物が現われるのを待っているだけなのですから。でも私は、いつか現われるだろう相手のことを思いつつ待っている、その時間が好きです。・・・と語っています。
「あいたいきもち」は、待つ時間も楽しい時間へと変えてくれるようです。
ペンギンたちに会いたくて、南極まで行った人もいます。
『ペンギンたちに会いたくて わたしの南極研究記』(加藤 明子/著 くもん出版 2009)
加藤明子さんは、南極鳥類研究者で、日本女性で初めて南極観測の外国隊に参加されました。
オーストラリア南極観測隊、フランス南極観測隊、そして日本南極観測隊とともに、計4回にわたり南極の海鳥類の調査にあたっています。ペンギンの背中に「データロガー」という小さな電子記録計を取りつけることで、ペンギンの生態をくわしく調査しました。
ちなみに、氷山は南極大陸に積もった雪がかたまってできた氷が流れ出したものなので、なめてもしょっぱくないそうです。
光の具合によって空色に見えたり、深い藍色に見えたり、深緑色に見えることもあり、夕日にあたるとピンク色や紫色に見えます。なんとも美しく、なんとも不思議な景色でした、と語られています。
「あいたいきもち」を抱くのは、人間だけとはかぎりません。
ケムシにあいたくてたまらないオオカミもいました。ただし、これは絵本の中のおはなしです。
『あいたくてあいたくて』(みやにし たつや/作・絵 女子パウロ会 2017)
嫌われもののオオカミは、ひとりぼっちのケムシと大のなかよしになりました。いつも一緒のふたりでしたが、ある日突然、ケムシはオオカミの前から姿を消してしまいます。ケムシにあいたくてあいたくてたまらないオオカミは、クリスマスの前の日、ツリーをつくって夜空に祈ります。
「ケムシに あいたくて あいたくて・・・・・
どうぞ ケムシに あわせてください・・・・・」
オオカミの「あいたいきもち」は通じるのでしょうか。
けれど、いつも「あいたい」なにかがはっきりしているわけではありません。
誰にあいたいのか、何にあいたいのかわからない・・・
そんな気持ちになること、ありませんか?
自分でもよくわからない「あいたいきもち」を、工藤直子さんが詩に書いています。
だれかに あいたくて
なにかに あいたくて
生まれてきた―
そんな気がするのだけれど
それが だれなのか なになのか
あえるのは いつなのか―
おつかいのとちゅうで
迷ってしまった子どもみたい
とほうにくれている
それでも 手のなかに
みえないことづけを
にぎりしめているような気がするから
それを手わたさなくちゃ
だから
あいたくて
(『あいたくて』 工藤 直子/著,佐野 洋子/画 大日本図書 1991より)
工藤さんは、あとがきにこう綴っています。
迷子の気分は、じつはすきです。とても、なにかに「あいたく」なるから。そして「あえてうれしい」から、と。
やはり「あいたいきもち」は、人に力を与えてくれるようです。
「あいたいきもち」にまっすぐ向かっている人はもちろん、迷子になってしまった人のためにこそあるのが図書館です。
「あいたい」なにかがみつかるかもしれません。
図書館は迷子の「志るべ」なのですから。
<引用・参考資料>
『B面の夏』 黛 まどか/著 KADOKAWA 1994 911.3マ(書庫)
『季語辞典』 関屋 淳子/文,山梨 勝弘/写真,富田 文雄/写真 パイインターナショナル 2012 911.3キ(一般)
『漢字の使い分けときあかし辞典』 円満字 二郎/著 研究社 2016 R811.2エ(調べる)
『野の花に逢いたくて フランス旅日記』 高橋 永順/写真と文 冬樹社 1989 293タ(書庫)
『永順花のレッスン』 高橋 永順/著 文化出版局 1988 793タ(書庫)
『野生動物に会いたくて』 増井 光子/著 八坂書房 1996 482.1マ(書庫)
『ペンギンたちに会いたくて わたしの南極研究記』 加藤 明子/著 くもん出版 2009 488カ(児童)
『あいたくてあいたくて』 みやにし たつや/作・絵 女子パウロ会 2017 Eミ(児童)
『あいたくて』 工藤 直子/著,佐野 洋子/画 大日本図書 1991 Y911ク(ティーン)
<志るべ>
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