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KCLスタッフブログ ~ブックとラック~

2017年7月11日(火)PM2:33|投稿者:KCLスタッフ

『慶長自記』から見る桑名

「ブックとラック」をご覧のみなさま、こんにちは。
次第に強くなる日差しに、夏の訪れを感じている< かぶら >です。

以前、桑名城についてご紹介した記事「絵図で見る桑名城」の中で、 『慶長自記』という資料について少し触れました。
今回は、『慶長自記』についてご紹介します。

 

『慶長自記』とは、慶長4年(1599)秋から慶長20年(1615)正月までの桑名の出来事を記した資料です。

著者は、船馬町で酒屋を営んでいた太田吉清です。

冒頭には、
慶長四年己亥秋米判金一枚四十九石、其後四十八石より七、六、五、四石なり。
と、慶長4年秋の物価が細かに記されています。

『慶長自記』は、当時の物価記録が多く記されており、吉清が商売を生業としていることが伺えます。
「同(慶長)三戊年に治田(員弁郡北勢町)に銀山出」とあり、この付近で銀が採れたことがわかるなど、桑名の歴史を辿る上で貴重な資料です。

 

また、慶長6年(1601)4月24日。nigaoe_hondatadakatsu

この日、桑名藩初代藩主・本多忠勝が初めて桑名城へ入ったことも記されています。

 

忠勝は、徳川家康に仕えた小牧長久手の戦いや、小田原攻めなど数々の合戦でその豪勇を賞賛されました。
そして慶長5年(1600)関ヶ原の戦いでまた大功を立て、翌6年に伊勢桑名藩の初代藩主となったのです。

『慶長自記』には、桑名の藩主となってから忠勝が行った「慶長の町割」といわれる町の整備についても記されています。

忠勝の行った町割が今も市内の随所に残っていることは、あまり知られていません。
「慶長の町割」については、

桑名町割の事、五月の末に被仰付、六月十八日に普請始り、エミトホリコノ舟入ほられ申候。
(中略)町中家蔵こぼち、春日の内に小屋をさし、取はらい、

と、 忠勝が行った町割は、町中の家や蔵を壊し、作り直すなど徹底されたものでした。
家を追われた人々は春日神社の境内に仮小屋を建てたり、川に浮かべた筏の上で生活を行うほどだったようです。

忠勝が慶長17年(1612)11月に春日神社に鳥居を寄進したことにも触れています。

現在の春日神社鳥居(スタッフ撮影)

現在の春日神社鳥居(スタッフ撮影)

現在の春日神社の鳥居は青銅の鳥居として有名ですが、忠勝が寄進した当時のものは木材で出来ていました。
鳥居建設にかかった材木等の費用や、大工の名前や行事などが、『慶長自記』に記されています。

 

『慶長自記』は、『桑名市史 補編』『日本都市生活史料集成 7 港町篇』で活字化された資料として読むことが出来ます。

一人の町人として桑名を見つめた吉清の視点で、桑名の歴史を振り返ってみるのもまた面白いかもしれません。
ぜひ一度、手に取ってご覧ください。 gosenzosama

 

 

 

▼関連資料
『桑名市史 本編』 近藤 杢/編,平岡 潤/校補 桑名市教育委員会 1987
『桑名市史 補編』 近藤 杢/編,平岡 潤/校補 桑名市教育委員会 1960
『日本都市生活史料集成 7 港町篇』 原田 伴彦/[ほか]編集 学研 1982
『寛政重修諸家譜 第7 新訂』 続群書類従完成会 1980
『国史大辞典 1 あ~い』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1979

 

< かぶら >

2017年5月9日(火)PM3:00|投稿者:KCLスタッフ

『ぼくがサムライになった日』

上げ馬ばかりは、かけや。
そのいっしゅんに、
馬と人が
ひとつのからだに
なるか、なれんか。
そして、土の壁と
火花散らす
たたかいや。
(『ぼくがサムライになった日』 北村けんじ/作 今井弓子/絵 金の星社 1983 「はじめに」より)

 

こんにちは、「志るべ」です。
新緑がまぶしい季節になりました。
五月の風の中、今年も多度の町では上げ馬神事が行なわれました。

 

『ぼくがサムライになった日』という作品は、
上げ馬神事を題材に書かれた作品で、作者は多度の児童文学作家、北村けんじ氏(1929~2007)です。
今回はこの作品をご紹介します。

 

ご存じのとおり、上げ馬神事は毎年5月4日、5日に多度大社で行われる例祭「多度祭」の神事です。
境内に造られた急な斜面を人馬一体となって駆け上がるという勇壮な神事で、うまく上がればその年は豊作とされています。最初に駆ける馬が上がれば早稲(わせ)の米が豊作、後の馬が上がれば晩稲(おくて)が豊作とも言われます。
昭和53年(1978)、三重県の民俗無形文化財に指定されました。

 

主人公「ぼく」は、多度の小山(おやま)に住む小学4年生の男の子「湯山マサキ」です。
マサキのおとうさんはシンガポールに出張中で、今はおかあさんと二人暮らしをしています。
物語は3月の終わりから始まります。
上げ馬の乗り子が決まる4月1日を目前に控え、マサキの祖父「馬屋のおっちゃん」の心は、早くもうきうきし始めていました。
馬を売っているわけでもないのに祭や馬のことならなんでも知っているおっちゃんは、みんなから「馬屋のおっちゃん」と呼ばれていました。
祭が大好きなおっちゃんですが、ここ10年ほど身内から誰も参加するものがなく、近所の子どもたちにも断られ、さびしい思いをしていました。
なんとかしたいおっちゃんは、孫のマサキを預かって戸津(とづ)の子として弓取りにしようと考えます。弓取りは乗り子の御付きをつとめる重要な役目です。
さいわい戸津の中には他に弓取りを志願するものがなく、おっちゃんの作戦はすんなり成功、大喜びなのでした。

 

乗り子は中学3年生のコウジ
ふたりの前に現われたのは、くり毛の馬サスケでした。
上げ馬に成功するにはまず馬に慣れ、馬との信頼関係を築かなければなりません。
上げ馬本番に向けて、マサキとコウジの特訓が始まります。

 

はたしてふたりはサスケと心を通わせることができたのでしょうか。
そして、コウジと馬は壁を駆け上がることができたのでしょうか。
つづきは作品をお読みいただければと思います。

 

現在4階歴史の蔵の前では「上げ馬神事~人馬一体の挑戦~」と題して、6月27日まで特集展示を行っています。

4階「歴史の蔵」の前で特集展示をしています。

上げ馬神事や多度大社の資料を揃えています。

P1080370

『ぼくがサムライになった日』も貸出しています。

北村さんは作品のあとがきでこう書いています。

 

・・・そして、あっという間に祭が過ぎ、そのあとにいやにおとなっぽい充実感と、はかなさのまじり合った、なにかあまずっぱいものまで感じたものでした。・・・

 

祭は、少年が成長していく中で経る、通過儀礼のひとつであるのかもしれませんね。
物語の最後に、祭を終えたマサキがシンガポールの父親に手紙を書く場面があります。そこにいるマサキは少し大人になっているようでした。

 

作者の北村けんじ氏より寄贈していただいた児童文学関係の資料は、「北村文庫」として桑名市立中央図書館に保管されています。
「北村文庫」については、また改めてご紹介したいと思います。

 

<参考資料>
ぼくがサムライになった日』 北村 けんじ/作,今井 弓子/絵  金の星社 1983 YL913キ
桑名市立中央図書館 開館10周年記念 地域文庫コレクション』 桑名市教育委員会事務局生涯学習課中央図書館 2015 AL026ク (☆希望者には無料配布を行っています。)
瞬間(とき)の浪漫 平成12年多度町勢要覧』 平成14年11月修正版 多度町(三重県) 2002 AG318.2タ
多度町史 民俗』 多度町教育委員会/編 多度町 2000 AL221タ

「志るべ」

2017年4月23日(日)PM7:35|投稿者:KCLスタッフ

図書館で本を探すには~応用編3 4階フロア~

桑名市立中央図書館スタッフブログ「ブックとラック」をご覧のみなさま、こんにちは。
図書館で本を探すには?~応用編1~ (2016年07月05日)以来の平八郎です。

今回は、4階フロアを紹介いたします。

4階には桑名市や三重県に関する郷土資料のほか、調べものに便利な辞書や事典類が並んでいます。

20170409

画像をクリックすると拡大します

画像は館内で配布している案内図に色を付けたものです。
では、順番にレシートに表示される各所蔵場所を紹介します。

①、②桑名三重
緑色で分けられている部分は所蔵場所「桑名三重」と表示されるコーナーです。上の図でいうと、①と②の一角です。
こちらには桑名市や三重県、郷土に関する資料が集められています。行政資料や生活情報の資料等もあり、桑名を知るための本が集まっています。

③歴史の蔵
③の「歴史の蔵」も上記の「桑名三重」と同じく、郷土資料が保管されています。
歴史の蔵についての詳細は過去の記事をご覧ください。
私のオススメの記事へのリンクを記載させていただきます。
「歴史の蔵」には何がある?? (2012年08月31日)
“桑名”に出会うならココ! (2013年02月07日)

④、⑤調べる
レシートに「調べる」と表示される④には辞書や事典などの参考図書
⑤には地図帳があります。ご活用ください。
過去のブログでもR本(参考図書)というテーマで取り上げています。
ちょっと気になる「R本」 (2010年10月15日)
ちょっと気になるR本~Part2~ (2015年10月24日)

⑦外国語
⑦の「外国語」には、英語のほか、
中国語、韓国語、ドイツ語、フランス語、ポルトガル語、スペイン語で書かれた資料があります。
また、外国の方が日本のことを知るための本や、日本で暮らすための本などもあります。

⑧AV(Audio Visual)
⑧の「AV」にはCDやDVDがあります。DVDは館内で視聴できるほか、貸出できる資料もあります。
CDも、どれを借りるか迷った際には試聴することができますので、カウンターへお気軽にお申し出ください。
図書館4Fには・・・!(2010年07月05日) の記事でも紹介しています。

4階特集
「歴史の蔵」の前では、隔月で桑名にちなんだ特集を展示しています。
「桑名三重」とあわせてご利用ください。

4階新刊
階段で3階から上がってくると、まず目に入る場所です。4階フロアに並ぶ新着図書があります。

4階フロアの所蔵場所について紹介させていただきました。
4階フロアはインターネットで調べものができるITコーナーや、DVDが視聴可能なAVコーナーがあり、3階フロアとは違った雰囲気があります。
オススメは、4Fの最新情報がわかる新刊コーナーです。

こちらには新しく図書館に入った資料の他に、デジタルサイネージがあります。
ITコーナー、AVコーナー等の利用状況と図書館からのお知らせが確認できます。
新刊図書と一緒に、ぜひご覧ください。

<平八郎>

2017年2月3日(金)PM1:34|投稿者:KCLスタッフ

諸戸家と桑名

「ブックとラック」をご覧のみなさま、こんにちは。
まだまだ厳しい寒さが続き、水道から出る水の冷たさに悩む< かぶら >です。

今は、水道の水も飲料水として使える程に綺麗になって久しい桑名の水ですが、古くは「白く濁った“桑名の蛤水”」といわれていたのをご存知でしょうか?kawa

 

 

 

桑名は木曽・長良・揖斐川の河口に位置する低湿地です。
そのため、桑名の水は飲料水として適さず、大山田川や町屋川から汲んだ水を飲料水として売り歩く“水売り”が成り立っていました。

しかし、桑名藩第4代藩主・松平定行の命によって、寛永3年(1626)に建設された「御用水道」(のちの「町屋御用水」)により、桑名の水は改善されました。
「町屋御用水」は明治に入ってからも使用されていましたが、人口の増加や水道の汚染、伝染病の蔓延によって上水道の建設は切実な問題となっていました。
しかし、上水道の工事には、莫大な建設費がかかるため、桑名町はなかなか着手出来ずにいました。

そこで立ち上がったのが、初代諸戸清六(1846-1906)です。
諸戸家は、初代清六以来の実業家の家系です。

もとは伊勢長島の庄屋でしたが、幕末の頃に桑名へ移り住みました。
当時の当主・清九郎が莫大な借金を残したまま没し、その跡を継いだのが、民治郎でした。
後の初代諸戸清六です。

初代清六は、莫大な借金を数年の間で全て返済し、その後は米相場や山林の経営で活躍します。
“日本一の山林王”として、その名を知られるようになりました。

上水道建設に悩む桑名を憂いた初代清六は水道建設を決意し、明治32年(1899)に水源調査を行い、桑名の西方の丘陵地を水源池とします。
その場所は昔から水質の良いところとして知られ、桑名藩第5代藩主・松平定綱が御茶の水に用いたとされる「御前水」の採り口となっていました。

町民の使用に耐えうる水量を獲得し、貯水池を設け、鉄管を敷設し、ついに明治37年(1904)6月に諸戸水道が竣工されました。

桑名町・赤須賀村の全域、益生村・大山田村の一部が給水区域で、総工費が約17万円かかりました。
当時の町財政が1万3千円余であったことを見ても、この工事がいかに巨額であったかがわかります。

初代清六はこれらを個人で支出しただけでなく、水は無料で供給し、維持経費3千円余も負担しました。

町屋御用水の給水範囲と比べると、町屋御用水が敷設されていなかった赤須賀が、諸戸水道には加えられたことがわかります。
これに感謝し、赤須賀には初代清六の水道事業顕彰碑が建てられました。

その後、昭和4年(1929)に桑名町により諸戸水道は拡張され、町屋川の伏流水を水源としたことにより諸戸水道貯水池は役目を終えます。
しかし、後に戦災により上水道が破壊された際には、再び諸戸水道貯水池が使用されました。

諸戸水道貯水池遺構(スタッフ撮影)

諸戸水道貯水池遺構(スタッフ撮影)

現在は水道としての役目を終えた諸戸水道ですが、桑名の近代化を示す重要な遺構として、「諸戸水道貯水池遺構」が昭和40年(1965)に桑名市文化財に指定されました。
また、平成20年(2008)には諸戸水道の配管経路図および貯水池と上屋の設計図の3枚が、「諸戸水道貯水池遺構 附 図面」として三重県文化財に指定されました。

初代清六が明治39年(1906)に亡くなって以降も、毎年3千円余の維持費が諸戸家より支出されました。
諸戸精太、二代諸戸清六兄弟から諸戸水道は付属設備と共に桑名町に寄付されます。
その際、大正15年(1926)3月31日までの維持費として金3千円も合わせて寄付されました。

長男・三男は早世しており、次男・精太は初代の屋敷を継ぎ、諸戸宗家(西諸戸家)を称しました。
初代の事業と名を継いだ二代清六は、初代清六の四男で名を清吾といいます。

桑名の観光地として有名な六華苑こと旧諸戸家住宅は、二代清六の結婚を期に、新居として大正2年(1913)に建てられたものです。
六華苑(旧諸戸家住宅)の洋館部分は、明治の頃東京の鹿鳴館を設計したことで知られる、イギリス人建築家のジョサイア・コンドルが設計をしました。

桑名市は、諸戸家より建物の寄贈を受け、敷地は購入しました。
建造物は洋館・和館共に重要文化財「旧諸戸家住宅(三重県桑名市)」として国の重要文化財に指定され、「旧諸戸氏庭園」は国の名勝に指定されています。

初代清六が購入した山田彦左衛門屋敷跡の庭園は名勝「諸戸氏庭園」として、こちらも国指定文化財に指定されています。

また、従来からの山田家の「御成書院」「推敲亭」「諸戸(宗)家住宅 煉瓦造 附 煉瓦塀 石造溝渠」などの建造物は三重県指定有形文化財となっています。

中央図書館には、諸戸水道の他、諸戸家に関する資料がございます。
ぜひ一度手にとってご覧ください。

▼参考資料
『諸戸水道調査報告書』(桑名市教育委員会/編,株式会社林廣伸建築事務所/編 桑名市教育委員会 2008)
『水道紛議 乙未の夢 完(コピー資料)』(桑名町 1895)
『桑名町上水道ノ概要(コピー資料)』 (桑名町水道事務所/編 桑名町水道事務所 1929)
『旧諸戸清六邸(六華苑)整備工事報告書』(桑名市・桑名市教育委員会 1995)

▼参考HP
桑名市観光ガイド
桑名市教育委員会文化財ホームページ
三重県 文化財データベース

< かぶら >

 

2017年1月15日(日)PM5:36|投稿者:KCLスタッフ

蔵書点検による休館と貸出期間延長のお知らせ

「ブックとラック」をご覧のみなさま、こんにちは。

家の本棚に入りきらなくなった本をどう整理するか、頭を悩ませている< かぶら >です。

今年も蔵書点検(特別整理期間)の時期がやってまいりました。
そのため、桑名市立中央図書館は下記の期間休館いたします。

休館に際し、皆さまには大変ご迷惑をおかけしますが
ご理解とご協力をお願いいたします。book_tate

【休館】2017年1月27日(金)~2月
1日(水)

また、休館にともない貸出期間の延長を行います。
下記の期間に貸し出された資料は、通常より1週間長い貸出期間となります。

【図書・雑誌】 2017年1月13日(金)~26日(木)の貸出 ・・・ 3週間
【CD/DVD】  2017年1月20日(金)~26日(木)の貸出 ・・・ 2週間

※桑名市外から取り寄せた図書は貸出期間が異なりますので、ご注意ください。
※休館の間も、1階の返却ポストはご利用いただけます。
ただし、CD、DVD、大型絵本、大型紙芝居、ゆめはま文庫、桑名市外から取り寄せた図書は開館日にカウンターへお持ちください。

長い貸出期間を使って、今まで気になっていた本をゆっくり読んでみるのはいかがでしょうか?

中央図書館では、オススメの資料を様々な形でご紹介しています。

一般特集「ハンサムウーマン」

一般特集「ハンサムウーマン」

3階、4階の各特集コーナーでは、月ごとに設けたテーマに沿った資料を集めて展示しています。

また、過去に予約が集中して読めなかった!という本を集めたベストセラーコーナーも、ぜひ、ご利用ください。
普段は立ち寄らない場所で、思わぬ本との出会いがあるかもしれません。
読書の幅を広げるキッカケに、ぜひ一度お手にとってみてください。

 

< かぶら >

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