令和6年度桑名市立中央図書館アンケートを実施しています

2024年8月1日(木)|投稿者:kclスタッフ

よりよい図書館にしていくため、皆様のご意見をお伺い致したく、アンケートを実施しております。

実施期間は以下の通りです。

 

配布期間:令和6年8月1日(木)~8月31日(土)

回収期間:令和6年8月1日(木)~9月14日(土)

 

アンケート用紙は桑名市立中央図書館で配布いたします。

記入いただいたアンケート用紙は、館内に設置している回収ボックスへお入れください。

また、下記リンクより用紙を印刷して、図書館へお持ちいただくことで回答することも可能です。

 

▼令和6年度桑名市立中央図書館アンケート

https://kuwana-library.jp/wp/wp-content/uploads/2024/07/2024kclquestionnaire.pdf

ご協力をお願いいたします。

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寅子と三淵さんと澤田さん

2024年8月1日(木)|投稿者:kclスタッフ

こんにちは、志るべです。
連日の暑さにもうぐったりですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
水分補給に休養、くれぐれも体調にはお気をつけください。

 

 

 

 

さて、NHK連続テレビ小説、通称「朝ドラ」、ご覧になっていますか?
主人公は、日本で初めて女性弁護士となった「猪爪寅子(いのつめ ともこ)」
物語は、女性がまだ弁護士にはなれなかった時代からスタートしました。
今ではあたりまえのことがあたりまえではなかったそんな時代が、それほど遠い過去ではないことに驚きます。

 

ドラマは実話に基づくオリジナルストーリーで、モデルは三淵嘉子(みぶち よしこ)さん。
三淵さんは昭和13年(1938)、女性として初めて当時の「司法試験」に合格し、昭和15年(1940)に弁護士になりました。

 

三淵さんについて書かれた一冊がこちら

 

三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』神野 潔/著 日本能率協会マネジメントセンター 2024.3』

 

 

三淵さんはいやおうなく戦争に巻き込まれ、昭和19年(1944)から21年(1946)のわずか3年の間に、弟、夫、そして母と父、ご家族4人を亡くされています。
戦後は、昭和27年(1952)女性初の裁判官に、昭和47年(1972)女性初の裁判所長になりました。

 

三淵さんの年譜をたどると「女性初」の称号がついてまわり、その経歴には圧倒されますが、そのことだけを書き立てられるのは、たぶんご本人も不本意なのではないでしょうか。
著者の神野さんもその功績を、「女性であるという自覚より人間であるという自覚の下に生きて来た」という三淵さんの言葉を引用した上で、

 

「女性に対する教育に熱意を持ち、家庭裁判所と少年審判の発展に貢献し、法制審議会や日本婦人法律家協会で活躍するなど、一人の人間として嘉子の残した功績は大きなものがあるからです」(p11~12)

 

と、記しています。
ドラマにも描かれていますが、三淵さんは、家庭裁判所の設立、少年審判に尽力されました。
一人の人間として懸命に仕事に向き合って生きてきた、その結果が「女性初」という称号につながっているのですね。

 

巻末の<参考文献>には、当時の雑誌も紹介されています。
三淵さんが書かれた文章には、今のわたしたちが生きていく上で指針となる言葉がつづられています。
『婦人と年少者』(7-9 1959年)に掲載された「共かせぎの人生設計」という記事からは、三淵さんの仕事に対する考え方が伝わってきます。
こちらは、「国立国会図書館デジタルコレクション」の送信サービスで見ることができます。

 

 

「国立国会図書館デジタルコレクション」はご存じでしょうか?
「国立国会図書館デジタルコレクション」とは、国立国会図書館で収集しているデジタル資料を閲覧できるサービスです。

 

①ログインなしで閲覧可能
②送信サービスで閲覧可能(個人と図書館)
③国立国会図書館内でのみ閲覧可能

 

の三種類に分かれます。

 

①は、インターネットで自由に見ることができる資料です。
②は、登録すれば、ご自身のパソコンで見ることができる資料です(個人向けデジタル化資料送信サービス
登録については、国立国会図書館の利用者登録(個人)をご覧ください。
また、当館にお越しいただければ、4階「歴史の蔵」のパソコンで閲覧することもできます。4階カウンターでご案内いたしますので、ぜひご利用ください。
➂は、国立国会図書館に来館しなければ見ることのできない資料になります。

 

『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』の<参考文献>で紹介している資料はほとんど、➁送信サービスで閲覧できるものです。

 

 

 

ドラマの中で、寅子は新しい「日本国憲法」に力を得て、法の世界に戻ることを決意します。そして司法省に乗り込んで、裁判官として採用するよう訴える場面がありました。
その時の寅子のセリフがこうでした。
「婦人の代議士も誕生しました。婦人の裁判官がいてもおかしくない。違いますか?」
民法改正に携わる寅子が、婦人代議士たちの意見を聞く場面もありました。

 

寅子が司法省の民法調査室で働き始めた頃には、衆議院選挙法改正を受けて総選挙が行われ、初の女性代議士が全国で39人誕生していました。
この39人の中の一人が桑名の女性でした。
桑名から、日本で初めての女性代議士が生まれていたのです。

 

その人は、社会党から立候補した澤田ひささん(明治30年(1897)生まれ)
49歳で日本社会党の新人議員となり、衆議院議員1期を務めました。

 

『三重の女性史』(三重の女性史編さん委員会/編さん  三重県文化振興事業団三重県男女共同参画センター「フレンテみえ」  2009.3 )には、「桑名市で夫とともに時計商を営んでおり社会党から立候補した」(p98)と記されています。

 

またまた、「国立国会図書館デジタルコレクション」を開いてみましょう。

 

『衆議院議員党籍録 第1回帝国議会~第92回帝国議会』 帝国議会衆議院 1957
253コマ:第22回総選挙(昭和21年4月10日)第90回議会(臨時) 日本社会党 三重 澤田ひさ
256コマ:第91回議会(臨時) 日本社会党 三重 澤田ひさ
260コマ:第92回議会 日本社会党 三重 澤田ひさ

 

日本社会党議員のところに、澤田さんの名前がありました。
こちらは、①ログインなしで閲覧可能な資料です。

 

ちなみに、ドラマで寅子は、初代最高裁判所長官である星朋彦の著書の改稿を朋彦の息子、航一と手伝います。
その著書のモデル『日常生活と民法』(三淵忠彦/著)も国会デジタルコレクションで見ることができます。
改稿前の大正15年(1926)版は①ログインなしで閲覧可能、三淵さんが改稿にかかわった昭和25年(1950)版は②送信サービスで閲覧可能な資料です。
ドラマで紹介された、著者の想いを記した序文も読むことができます。

 

昭和25年(1950)版には「関根小郷、和田嘉子補修」(和田は三淵さんの旧姓)とあり、実際は三淵忠彦さんの息子、乾太郎さん(ドラマでは星航一)と改稿を行ったのではないようですが。

 

「国立国会図書館デジタルコレクション」大活躍です。
古い資料だけど見てみたいなと思った時、もしかすると「国立国会図書館デジタルコレクション」にあるかもしれません。
一度検索してみることをおすすめします。

 

 

ドラマの中で、納得できないことに「はて?」と首をかしげてきた寅子ですが、「はて?」を変えていくことの難しさは、今も変わらないのかもしれません。
わたしたちの今は、三淵さんや澤田さんが切り開いてきてくれた道筋の先にあります。
寅子の言葉「憲法にもあるように、よりよく生きていくことに「不断の努力」を惜しまない」ようありたいものです。
図書館には他にも、三淵さんに関する本や、ドラマの台本をもとに小説化した『虎に翼 上』もあります。
ぜひ、そちらもあわせてご利用ください。

 

<引用・参考資料>
『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』神野 潔/著  日本能率協会マネジメントセンター  2024.3  /289.1/ミ/
『三淵嘉子の生涯 人生を羽ばたいた“トラママ” 』 佐賀 千惠美 /著  内外出版社  2024.4  /289.1/ミ/
『三淵嘉子と家庭裁判所』 清永 聡/編著  日本評論社  2023.12  /289.1/ミ/
『三淵嘉子 日本初の女性弁護士』 長尾 剛/著  朝日新聞出版  2024.3  M/913.6/ナガ/
『日本初の女性裁判所長三淵嘉子』 平凡社  2024.4  /289.1/ミ/
『虎に翼 上』 吉田 恵里香/作,豊田 美加/ノベライズ  NHK出版  2024.3  /913.6/トヨ/1
『三重の女性史』 三重の女性史編さん委員会/編さん  三重県文化振興事業団三重県男女共同参画センター「フレンテみえ」  2009.3   L/367/ミ/
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/

<志るべ>

 

 

 

調べる学習相談窓口開設のお知らせ

2024年7月19日(金)|投稿者:kclスタッフ

画像を選択すると拡大します(PDF)

 

桑名市立中央図書館では、「調べる学習相談窓口」を開設いたします!

 

「調べる学習の『テーマ』が決まらない・・・」
「どうやって調べたら良いか、アドバイスが欲しい!」
「まとめ方が分からない」など、作品づくりに悩んだら、相談窓口までおこしください!
図書館スタッフが、みなさんの調べる学習をサポートいたします!

 

日 時|2024年7月20日(土)~2024年8月31日(土)
                   13:30 ~ 17:00(最終受付は16:30)
                   ※混雑時の相談時間は30分を目安とさせていただきます。
場 所|桑名市立中央図書館 3階 児童コーナー
対 象|「第20回桑名市図書館を使った調べる学習コンクール」に応募される方
持ち物|筆記用具

 

申込方法|桑名市立中央図書館児童コーナーへ直接お越しください
※お電話での受付や、事前予約はおこなっておりませんのでご注意ください

 

駐車場|駐車場の数に限りがありますので来館の際には、公共交通機関のご利用をお勧めします。満車の場合は、柿安シティホール(市民会館)の立体駐車場、またはパブリックセンターの駐車場をご利用ください。

 

お問い合せ|桑名市立中央図書館  0594-22-0562

 

「桑名市図書館を使った調べる学習コンクール」についてはこちらをご覧ください。

 

夏の定番

2024年7月8日(月)|投稿者:kclスタッフ

こんにちは、なばなです。

暑い日が続いていますね。

去年の夏は全国の平均気温が統計開始以降の最高記録だったそうですが、今年も更新しそうな勢いを感じます。

こんな少しでも涼しくなりたい夏の定番の一つなのが ・・・怖い話ですよね。

というわけで、今回はひんやりと涼しくなるような怖い話の本を紹介します。

 

 

まず初めに紹介するのはこちら。

芦沢 央/著『火のないところに煙は』(新潮社刊)

 

 

作家である主人公に舞い込んだ、あるホラー企画。

過去の忌まわしい記憶と向き合う為に、主人公は怪談を集めていきますが、やがて思いもよらない結末に繋がっていき・・・

この小説は短編ホラーでありながら、完成度の高いミステリーでもあります。

それぞれの怪談に残された謎。それが解かれた時に浮かび上がる、話の本当の怖さ。

そして、タイトルに隠された意味。それら全てに気づいた時、納得と恐怖で血の気が引きました。

ホラーとミステリー、二段重ねの恐怖を味わえる本です。

 

 

 

次に紹介するのはこちらです。

井上 宮/著『ぞぞのむこ』(光文社刊)

 

 

架空の町の漠市を中心に、そこに関わった人々の不条理を書いた短編小説です。

漠市に踏み入れてから始まる、白昼夢から悪夢に落とされるような不気味さと理不尽な展開。

怖さと気持ち悪さと悲しさを一気に詰め込まれるような読後感・・・

読んでいる時はお腹いっぱいだと感じていたのに、読み終えても続きを探している自分に、また恐怖を感じました。

 

 

 

最後に紹介するのはこちら。

今までゾッとするような怖さばかりだったので、少し毛色の違った本を紹介します。

大城 道則/著,芝田 幸一郎/著 角道 亮介/著『考古学者が発掘調査をしていたら、怖い目にあった話』(ポプラ社刊)

 

 

世界を股にかける考古学者たちが、現地であった怖い体験を書いたノンフィクションエッセイです。

発掘で人骨は当たり前。行く先々で出会うはゲテモノ料理と自然の脅威、果ては本当に怖いのは人間の話まで。

あらゆる面での怖い目に遭っても、遺跡のためにエンヤコラと突き進む考古学者たち。

その情熱とタフさは感動すらしてきます。

未知の怖さも冒険の楽しさも味わえる本です。

 

 

 

怪談と言えば、桑名にも有名な幽霊の話があります。

桑名市清水町に現在もある浄土寺に伝えられた、「幽霊飴」という話です。

こちらは『東海の民話』のP243、『読みがたり三重のむかし話』のP23、『伊勢・志摩の民話』のP17、『桑名の伝説・昔話』のP231と複数の資料に収録されています。

 

江戸時代の頃、浄土寺の門前に飴忠(あめちゅう)という飴屋がありました。

そこに一人の女が毎晩飴を買いに来るようになったのですが、それ以来なぜか売上金の中に木の葉が一枚混ざるようになりました。

あの女が原因だと考えた店主が、帰る後をつけていくと、その女は浄土寺の墓地でフッと消えてしまったのです。

恐ろしくなった店主は、翌日住職と一緒に墓地の女が消えた場所に行くと、墓の下から赤ん坊の声が聞こえます。

驚いて墓を掘ると、女に抱かれた赤ん坊が飴を舐めていました。

女は我が子を育てるために、幽霊になって飴を買いに来ていたのです。

事情を悟った店主と住職は、泣いている赤ん坊を引き取り、女を手厚く埋葬してあげました。

飴忠はこれ以来、地蔵盆の時期に飴を売るようになり、人々はこれを「幽霊飴」と呼んだそうです。

 

幽霊飴の話は各地にあるそうですが、桑名の浄土寺では8月23日、24日の夕方に実際に「幽霊飴」が販売されているそうです。

幽霊の出てくる話ではありますが、怖いというよりも人情を感じる話ですね。

 

幽霊の怖い話、妖怪の怖い話、人間の怖い話。

どんな話でも不思議と最後まで読みたくなるのが、怖い話の一番の怖さかもしれませんね。

 

<参考資料>

『東海の民話』(毎日新聞社学芸部/編 六法出版 1982 YL388ト)

『読みがたり三重のむかし話』(三重県小学校国語教育研究会/編 日本標準 2004.6 AL388ミ)

『伊勢・志摩の民話』(倉田 正邦/編 未来社 1961 AL388イ)

『桑名の伝説・昔話』(近藤 杢/編,平岡 潤/編 桑名市教育委員会 1965 YL388.1ク)

 

 

江戸の桑名の水事情

2024年6月1日(土)|投稿者:kclスタッフ

こんにちは、かぶらです。
梅雨の気配が近づき、道端の紫陽花にもよく目がとまる季節になりましたね。
雨の日にお気に入りの傘や雨具を身に着けてお出かけするのも楽しいですが、お家でゆっくり読書をするのはいかがでしょうか?
今回は「雨」にちなんで、江戸時代の桑名の水事情についてご紹介したいと思います。

 

 

現代では、どこの家庭でも蛇口をひねれば綺麗な水が流れる桑名ですが、かつては「白く濁った“桑名の蛤水”」と揶揄されたこともありました。
2017年公開のブログ「諸戸家と桑名」でも少しご紹介しましたが、桑名は木曽・揖斐・長良川の河口に位置し、もともと海であった場所に泥砂が堆積してできた低湿地です。
この為、古来から水質が良くなく、少し白く濁った水を「桑名の蛤水」といわれました。

 

江戸時代の桑名のガイドブックともいえる資料、長円寺の僧・義道による『久波奈名所図会 影印校注 上巻』に天正元亀(1570~1592)以前の桑名の様子を描いた絵図があります。
今とは異なる当時の町屋川(現在の員弁川)・大山田川の流れがよくわかります。
※義道と『久波奈名所図会』については、2020年公開ブログ「桑名駅が生まれ変わりました!」にて詳しくご紹介しています。

 

『久波奈名所図会 影印校注 上巻』 より「益田庄桑名三﨑天正元亀以前之圖」

 

町屋川や大山田川から汲んできた水を飲料水として売る「水売り」が成り立ったのも、当時の桑名の水質によるものでした。
しかし、日々川へ水を汲みに行っては町中で売るというのも中々手間がかかります。
そこで、桑名藩第4代藩主・松平定行の命によって、寛永3年(1626)より上水道が建設され、完成したのが御用水道、のちの「町屋御用水」です。

 

全長は吉津屋御門から町屋川水源まで約2キロメートル。
水源から御門までは自然の勾配に従って開渠(かいきょ/*蓋掛けされていない水路)で通され、御門より城下の町へは、地中の樋管を通って水が運ばれます。
江戸時代に造られた飲料用の水道としては、“水道のはじめ”といわれる江戸の神田水道が有名ですが、町屋御用水は全国で6番目にできたもので、当時の桑名の土木技術の高さを窺えます。
『久波奈名所図会 影印校注 下巻』の「鍛冶町御門」の図では、右上に「用水通」が描かれています。

 

『久波奈名所図会 影印校注 下巻』より「鍛冶町御門」

用水通

 

町中を走る用水通が描かれたものは少なく、大変貴重な図です。
用水通を通る水を汲むため、町の所々に水汲井戸を設けて人々は生活用水に使いました。
このような井戸は「通り井」と呼ばれ、江戸の中頃には城内・武家地・町人地を合わせ、200基を越えたと言われています。

 

通り井の賑わいの様子も『久波奈名所図会 影印校注 上巻』に描かれています。

 

『久波奈名所図会 影印校注 上巻』より「通り井」

 

井戸自体は手前の屋根に半分ほど隠れてしまっていますが、石造りの井戸枠が見えます。
一般的な井戸によく見る滑車は設けられていないことから、この井戸は滑車式ではなく、長い竿の付いた釣瓶を使って人々は水を汲んでいたのでしょう。

 

かつて桑名の町中を巡った町屋御用水ですが、明治37年(1904)に諸戸水道が開通したことにより、およそ280年の役目を終えました。
現在では町屋川からの取水口から益世小学校東側に至る区間の約1キロ少々だけが、かろうじて水路としての姿を偲ばせています。
残る大半については、本来の流路すら定かでない部分が多いようです。

 

しかし、昭和37年(1962)9月23日に行われた江戸町から川口町へかけてのガス・水道工事の折に、通り井の遺構である石組みが発見されました。
これは江戸町通り井のうちの一つで、同じ道筋に位置する川口町でも平成2年(1990)3月に通り井の枡が発見されています。
この位置を後世に伝えるため、発見地点の路面には「井」と彫られた目印の石が埋め込まれました。

 

「井」と刻まれた石(2016年スタッフ撮影)

 

「町屋御用水」の解明を目的とした、本格的な発掘調査はこれまで実施されていません。
川口町の通り井遺構のように、道路工事など偶然によるものでなければ中々発見することは難しく、また、体系的な調査が行われないままに終わることがほとんどです。
しかし、平成30年(2018)に市が行った伝馬町の伝馬公園における遺跡発掘調査で、上水道管が初めて敷設された状態で発見されました。
東西方向に複数接続した状態で出土した土管は、瓦と同じように焼かれ、城下の瓦師が大量生産したものではないかと推測されます。
発掘調査で当時の使用状況が具体的に分かったのは初めてで、とても貴重な成果でした。

 

 

 

今回は江戸の桑名の水事情についてご紹介しました。
雨が上がって外へ出た時に、「もしかして、この下に江戸時代の水道が残っているかも?」なんて考えながら桑名の街を歩いてみるのも楽しいかもしれませんね。
お出かけのお伴に『久波奈名所図会』もいかがでしょうか?

 

 

<参考資料>
『久波奈名所図会 影印校注 上巻』(義道/著,工藤 麟渓/挿図,久波奈古典籍刊行会/編集 光書房 1977序 AL292ギ)
『久波奈名所図会 影印校注 下巻』(義道/著,工藤 麟渓/挿図,久波奈古典籍刊行会/編集 光書房 1977あとがき AL292ギ)
『町屋御用水調査報告書』(桑名市教育委員会 2004 L519マ)
『日本の上水 増補改訂』(新人物往来社 1995 AL518ホ)
『中日新聞地方版縮刷版(三重県北勢版) 平成30年9月~12月(2018)』(双光エシックス(制作) 中日新聞社 [2019] L071チ)
※「町屋御用水」の記事は2018年12月6日p15にあり

 

 

<かぶら>

 

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