あけましておめでとうございます。2024

2024年1月4日(木)|投稿者:kclスタッフ

あけましておめでとうございます。

今年も中央図書館とスタッフブログ「ブックとラック」を

よろしくお願いします。

 

 

 

 

桑名市中央図書館は、1月4日から開館しております。

皆さま、お正月はいかがお過ごしでしょうか?

年末年始に移動を希望する人数は、コロナ前にかなり戻ったとニュースを見ました。

せっかくのお正月、帰省でも旅行でも、行きたい場所で過ごしたいところ。

その行きたい場所に図書館が入っていれば幸いです。

 

 

令和6年、今年の干支は「辰」です。

龍は十二支で唯一の空想上の動物ですが、古くから縁起の良い生き物とされてきました。

この一年も良い年にしてくれることを期待したいです。

 

 

ところで「辰」という漢字ですが、十二支以外で「龍」の意味で使用するのを見たことありますか?

恐らく、思いつかないのではないでしょうか。

 

なぜなら、一説によると十二支の動物は、十二支の思想を広める際に一般の人にも分かりやすいように当てはめたものだからです。

つまり、本来「辰」の漢字には龍という意味はなかったそうです。

 

 

『岩波新漢語辞典』(山口 明穂/編,竹田 晃/編  2014.1)で「辰」と引くと、以下のように書かれています。

【辰】たつ・シン(漢)・とき(名)

①十二支の第五。たつ。方角では東南東、時刻では午前八時(の前後各一時間)に当てる。「戊辰」

②とき。日(がら)。「佳辰・誕辰」

③天体。星。「星辰・北辰・辰宿」

 

確かに②や③を見ると、龍との繋がりは薄い漢字に見えます。

十二支の龍の意味は後から追加されたからなのでしょうね。

ちなみに、「誕辰」と書いて「誕生日」や、「北辰」と書いて「北極星」という意味になるそうです。

漢字の意味が分かると、読みやすくなって面白いですね。

誕生日カードに書いてみても良いかもしれません。

 

 

ただ、龍のような生き物の意味がない漢字なのかというと、そうでもありません。

 

一説になりますが、この「辰」という漢字は象形文字、いわゆる物の形を模倣して作られた漢字だとされています。

それによると「辰」の形は、二枚貝の殻から、弾力のある足をぴらぴら出している様子を表しているそうです。

 

 

二枚貝から足・・・絵面としても、なかなかシュールですね。

そんな漢字が十二支の龍に選ばれるとは、滝登りの鯉も二度見しそうな変貌です。

 

十二支を広める目的では採用されなかったでしょうが、もしこちらの意味で広まっていたら、十二支に交じる二枚貝がいたのかもしれません。

 

うさぎと蛇の間にしれっと混ざる二枚貝、神様の元へえっさほいさと走る二枚貝、年賀状で自慢の足を披露する二枚貝たち・・・

ちょっと見てみたかった気もしますね。

 

 

 

更につけ加えると、「辰」は「蜃」の字源(起源となった漢字)でもあります。

「蜃」とは、蜃気楼を作り出すとされた伝説の生き物で、この「蜃」の口から海上に吹いた気が、楼閣・城市の形をしたことから、「蜃気楼」と呼ばれたそうです。

そして、その正体といわれている姿の一つが竜、もう一つが大蛤です。

 

 

ところで、蛤といえば、桑名の名産ですよね。

 

実は、この桑名を舞台に大蛤の姿の「蜃」が描かれている絵が存在します。

その一つがこちら、二代目歌川国貞の「春季蜃気楼」(桑名市博物館所蔵)です。

 

「春季蜃気楼」二代目歌川国貞[作] (『北斎・広重・国芳 浮世絵に見る東海道五十三次・桑名,特別企画展』より)

 

 

現れた蜃気楼に仰天する人々と、我関せずと悠々と氣を吐く大蛤。

浮世絵らしい鮮やかな色彩が見応えがある一方、少しユーモラスな場面に、くすっと笑ってしまいます。

 

こちらは、桑名市立図書館の『北斎・広重・国芳 浮世絵に見る東海道五十三次・桑名,特別企画展』(桑名市博物館/編 2013.10 p80, 解説p113)に掲載されています。

この絵以外にも、著名な浮世絵画家による「蜃」の絵や、桑名に関わる浮世絵が数多く載っています。

貸出も可能なので、気になる方は是非借りてみてください。

 

 

また、「辰」の意味にはもう一つ、形声文字(音を表す文字と意味をあらわす文字を組み合わせた漢字)と考える説もあります。

乙+匕+二+厂で「辰」となり、この組み合わせは、草木が盛んに成長し整っていく様子を表すのだそうです。

これも活力あふれた良い年になりそうな素敵な意味ですね。

 

 

今年はどんな年になるでしょうか。

桑名市立中央図書館が、良いお年を過ごせる一助になればと思います。

この一年も、皆さまのご来館お待ちしております。

 

 

▼引用・参考資料

『干支の漢字学』 水上 静夫/著 1998.12

『部首ときあかし辞典』 円満字 二郎/著 2013.5

『岩波新漢語辞典』 山口 明穂/編,竹田 晃/編  2014.1

『新潮日本語漢字辞典』 新潮社/編 2007.9

『新選漢和辞典 第8版』 小林 信明/編 2022.2

『角川新字源』 小川 環樹、他/編 2017.10

『北斎・広重・国芳 浮世絵に見る東海道五十三次・桑名,特別企画展』 桑名市博物館/編 2013.10

「第19回桑名市図書館を使った調べる学習コンクール」表彰式

2023年12月4日(月)|投稿者:kclスタッフ

2023年11月27日(月)に、第19回 桑名市図書館を使った調べる学習コンクールの表彰式が行われました。
今年は169作品のご応募いただきました。

 

 

そのうち、
☆最優秀賞 1作品
☆優秀賞  3作品(うち、子どもと大人の部1作品)
☆奨励賞  26作品(うち、地域賞1作品、子どもと大人の部1作品)
が入賞し、32名の方々が表彰されました。

 

今年度の受賞作品の一覧はこちらからご覧いただけます。
➡ 第19回 桑名市図書館を使った調べる学習コンクール入賞作品発表(PDF)

 

みなさんの疑問・興味を持ったことを一生懸命調べる姿がとても素敵でした。
これからも調査のお手伝いが出来るよう、図書館スタッフ一同サポートしてまいります。
最優秀賞・優秀賞に選ばれた作品は全国コンクールへ出品されます。
入賞作品の閲覧をご希望の方は、児童コーナー窓口へおたずねください。

 

 

年末年始の休館と貸出延長のお知らせ

2023年12月1日(金)|投稿者:kclスタッフ

「ブックとラック」をご覧のみなさま、こんにちは。
桑名市立中央図書館の年末年始休館と、貸出期間延長のご案内です。
中央図書館では以下の期間が休館となります。

 

【休館期間】
 12月27日(水)~1月3日(水)

※休館期間中の返却はくわなメディアライヴ1階の返却ポストをご利用ください。
ただし、CD、DVD、大型絵本・大型紙芝居、ゆめはま文庫、桑名市外から取り寄せた図書は破損のおそれがありますので、開館日にカウンターへお持ちください。

 

 

また、休館に伴い貸出期間の延長を行います。

【図書・雑誌の貸出期間延長】
 12月14日(木)~12月26日(火)の貸出 …3週間

※桑名市外から取り寄せた図書は、貸出期間が異なります

 

【CD・DVDの貸出期間延長】
 12月21日(木)~12月26日(火)の貸出 …2週間

 

通常よりも一週間長くお借りいただけるとあって、毎年たくさんの資料が貸出されます。
この機会に、なかなか手を出せずにいた本にチャレンジしてみるのはいかがでしょうか?

 

館内にはテーマに沿った資料を集めた特集コーナーがございます。
何を読もうか迷った時は、ぜひ特集コーナーもご覧ください。

 

今年も図書館をご利用いただき、ありがとうございました。
2024年も桑名市立中央図書館をご利用・ご活用いただきますようよろしくお願い申し上げます。
よいお年をお迎えください。

 

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昭和の図書館

2023年11月16日(木)|投稿者:kclスタッフ

現在、中央図書館館内では毎年恒例「昭和の記憶」収集資料展を開催しています。
今年は「昭和の写真でめぐる桑名」をテーマに、館内各所に展示された写真パネルで昭和と令和の変化をお楽しみいただけます。

 

さて、昭和の街並みが溢れる現在の中央図書館ですが、昭和の頃はどんな図書館だったのでしょうか?

 

桑名市立中央図書館の前身、桑名市立図書館は戦災直後、荒廃した中から市民の声や寄附によって昭和22年に桑名市最初の図書館設立認可を受けました。
昭和26年3月、旧市役所北庁舎(元議場・木造平屋)を閲覧室として公開しましたが、蔵書数が少なく、図書館として機能したのは新図書館法が制定された後、昭和32年からでした。
図書館の規模は年を追って拡張していき、蔵書数は1,300冊から昭和33年度には8,830冊にまで増えました。

 

当時の開館時間は午前8時30分~午後4時30分まで。
毎週火曜日が休館日で、職員は館長と司書、事務職員等のわずか3名で運営されていました。
市民に広く愛された図書館ではありましたが、昭和34年9月、伊勢湾台風の被害により多くの蔵書を失ってしまい、閉館に追い込まれます。

 

 

しかし、昭和35年2月、市立図書館は業務を再開しました。
台風の被害からわずか半年での再開。
職員の方の想像を絶する努力があったのでしょう。
その作業の一端を、『秋山文庫図書目録1ー4仮プリント』に見ることが出来ます。

 

修復作業の様子(『秋山文庫図書目録1ー4仮プリント』より)

昭和35年、図書館には台風の被害にあった古典籍が寄贈されました。
その古典籍は江戸時代の蔵書を集めた大変貴重なもので、ブリキ缶13個に納められていました。
台風の後始末が終わった後、およそ1年後に当時の職員・平岡潤氏が缶の中を覗いてみると、全部干からびて固形化し、汚物や泥砂が黒く固まって一枚の板のようになっていたそうです。
これはいけない、と平岡さんともう一人の職員の方、2人がかりでおよそ3カ月の間に補修作業を行った古典籍1,000冊以上。
この時救われた古典籍は、「秋山文庫」の一部として今も手に取ってご覧いただけます。

 

 

 

再開後の図書館は、何度か移転を繰り返しました。
昭和43年5月、京町(桑名都市計画復興事務所跡)。
昭和44年5月、鍛冶町診療所跡。
この頃の閲覧者は、年間約5,000人だったそうです。

 

 

昭和48年5月、旧桑名市役所庁舎(中央町)へ移りました。
今も市役所庁舎の横にある、鉄筋2階建の建物です。

当時の図書館内の様子(『桑名市史 補編』より)

当時の蔵書数は34,014冊。
昭和26年に閲覧室として公開されていた当時の1,300冊から、閲覧室、事務室、書庫、倉庫、そして児童室を備えたとても大きな図書館となりました。

 

そして平成16年(2004)10月、くわなメディアライヴ内に「桑名市立中央図書館」と名称を新たにして、現在の図書館ができました。
令和5年3月31日現在の蔵書数は396,299冊。
近年に出版された本も、伊勢湾台風の被害にあった本も大切な桑名の財産として保存されています。

 

 

時折、自分が子どもの頃に読んだ本を返却カウンターで受け取ることがあります。
記憶の中の本よりも随分年季が入りましたが、当時の私と同じように今も誰かの心をときめかせている様子です。
10年先、20年先も誰かの手に目に触れますようにと願い、大切に繋いでいきたいと思いました。

 

今回の「ブックとラック」では、「昭和の図書館」についてご紹介いたしました。
中央図書館館内では、11月28日まで桑名市内各所の「昭和の桑名」の様子をご覧いただけます。
懐かしいあの風景を、もう一度目にしてみるのはいかがでしょうか?

 

 

【参考文献】
『桑名市史 本編』
『桑名市史 補編』
『秋山文庫図書目録1ー4仮プリント』

 

〈 かぶら 〉

 

第三弾 桑名ゆかりの有名人

2023年10月21日(土)|投稿者:kclスタッフ

こんにちは、志るべです。
秋も深まってまいりましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 

 

 

 

前回のブログ「遠くて近い留学の話」で、なばなが海外留学の本を紹介しました。
その中で「昔は海外留学したと聞くと、自分とは別世界の話のように感じた」と書いていますが、今から155年ほど前、時は明治維新、まさしく別世界に飛び込んだ若者たちがいました。

 

その一人が、駒井重格(こまい しげただ)です。
今回は、「第三弾 桑名ゆかりの有名人」として駒井重格を紹介したいと思います。

 

駒井重格は幕末の桑名藩士で、維新後にアメリカに留学し、後に専修学校(現在の専修大学)を創設した人物です。
駒井家は代々、久松松平家(徳川家康の異父弟の家系。「第二弾 桑名ゆかりの人物」をご覧ください)に仕えた家柄で、学者をたくさん輩出しています。
重格の父、祖父は共に儒学者で、重格は14歳という若さで家督を継ぎました。
戊辰戦争では神風隊に所属して戦っています。
桑名藩は庄内(山形県)で降伏しますが、重格は寒河江の激戦で負傷していたこともあり、鶴岡城下に近い大山で謹慎し、その後、帰藩しました。

 

明治7年(1874)、旧桑名藩主・松平定教(まつだいら さだのり)のお供をする形でアメリカへ留学し、ニュージャージー州にあるラトガース大学で経済学を学びました。
この留学中、後に専修学校を創設する仲間、相馬永胤(そうま ながたね)、田尻稲次郎(たじり いなじろう)、目賀田種太郎(めがた たねたろう)と出会います。
相馬と田尻は嘉永3年(1850)生れで、目賀田と駒井は、その3年後、黒船が来航した嘉永6年(1853)に生れました。(『専修大学 105年』では重格は嘉永5年(1852)生れ、とあります)
幕末には、相馬(彦根藩)と田尻(薩摩藩)は倒幕派、目賀田(幕臣)と駒井(桑名藩)は佐幕派と敵対する立場にありました。

 

そんな彼らを描いた小説がこちら、
『蒼翼の獅子たち』(志茂田 景樹/著 河出書房新社 2008.10)

 

 

『蒼翼の獅子たち』(志茂田 景樹/著 河出書房新社    2008.10)

 

 

物語は、明治3年(1870)9月28日、17歳を迎えたばかりの目賀田種太郎がアメリカ留学に出発するところから始まります。
幕末の動乱を生き抜いて留学を果たした若者たちは、しだいに新しい学校を創ることに情熱を傾けていきます。
彼らが目指したのは、日本語で法律学と経済学を学ぶことができる専門学校を創ることでした。
帰国後の明治13年(1880)、現在の専修大学の前身である専修学校を設立します。

 

専修大学の創設についてくわしく記されている一冊はこちら、
『専修大学 105年』(専修大学出版局 1984.9)
建学の精神の項では、重格たち4人がどのように生き、専修学校設立に至ったかが記されています。

 

こちらもご覧ください。
『専修大学史紀要 創刊号』(専修大学大学史資料課  2009.3)
専修大学長の日高義博氏が「建学の精神と大学の未来」として、4人の創立者について語っています。
『専修大学史紀要 第11号』(専修大学大学史資料室 2019.3)
専修大学の歴史が記されています。

 

その後、重格は大蔵省、農商務省の官僚として近代国家の土台づくりに力をそそぎます。
東京大学予備門や岡山中学校(現在の岡山県立岡山朝日高等学校)、岡山県師範学校(現在の岡山大学)等で英語、経済学を教え、教育者としても活躍しました。
また語学に堪能であった重格は、フランス経済学を日本に導入し、多くの著作・翻訳書を残しています。

 

明治32年(1899)には、高等商業学校(現在の一橋大学)の校長に就任し、専攻部を2年延長、商業学士号を新設する等、学校改革に着手しました。
けれども、在任中の明治34年(1901)12月9日に急逝しました。享年48歳でした。

 

桑名藩士であった駒井家の歴史については、こちら、
『美術館紀要 第1号』(桑名市立文化美術館 1979.7)
西羽晃氏が「駒井重格について」と題して考察しています。
また、『郷土史を訪ねて』(西羽 晃/著 朝日新聞社名古屋本社 2010.6)の中にも駒井重格についてまとめられています。

 

 

 

幕末から明治へと大きく変化した時代を生き抜いた若者たち。
どのような思いを抱いて海を渡り、そこで何を見て、何を感じ、どう行動したのでしょう。
図書館の本を通して彼らの姿に触れてみませんか?

 

 

<紹介資料>
『蒼翼の獅子たち』 志茂田 景樹/著 河出書房新社 2008.10 AL936シモ
『専修大学 105年』 専修大学出版局 1984.9  L289コ桑名人物
『専修大学史紀要 創刊号』 専修大学大学史資料課  2009.3 L289コ桑名人物
『専修大学史紀要 第11号』 専修大学大学史資料室 2019.3 L289コ桑名人物
『美術館紀要 第1号』 桑名市立文化美術館 1979.7 L069ク
『郷土史を訪ねて』 西羽 晃/著 朝日新聞社名古屋本社  2010.6   AL292ニ

<志るべ>

 

 

 

 

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