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「昭和」から「平成」、そして「令和」へ
2019年6月8日(土)|投稿者:kclスタッフ
こんにちは、志るべです。
みなさまいかがお過ごしでしょうか?
新元号「令和」がスタートしました。
平成への名残惜しさを感じつつも、新しい時代に対する期待が高まります。
今、桑名駅周辺も大きく変わろうとしています。
「桑名駅自由通路整備事業」の工事、真っただ中です。

「サンファーレから見た桑名駅。塀の向こうで工事が行われています」
この通路が完成すると、踏切まで迂回せずに駅の東西を通行できるようになります。
(くわしくは、桑名市ホームページの桑名駅周辺地区整備構想、桑名駅自由通路整備事業をご覧ください)
現在の桑名駅周辺の姿は、昭和44年の「桑名駅前市街地再開発事業」によって整備、開発されました。
建物が取り壊されてなくなってしまうと、「あれ?ここ何があったっけ?」と思うことがあります。
いつも見ている場所なのに・・・と記憶のあやふやさに驚きます。
桑名市立中央図書館では、「薄れ行く昭和の記憶の風化を防ぐ」ために資料を収集し、年に一度「昭和の記憶収集資料展」を開催していますが、新しい時代を迎え、昭和がまたひとつ遠くなりました。
昭和の初め、桑名駅からはどんな景色が見えたのでしょう?
昭和10年の桑名駅を詠んだ詩があります。
桑名の夜は暗かった
蛙がコロコロないてゐた
夜更け(よふけ)の駅には駅長が
綺麗な砂利を敷き詰めた
プラットホームに只(ただ)独り
ランプを持つて立つてゐた
桑名の夜は暗かつた
蛙がコロコロ泣いてゐた
焼蛤貝(やきはまぐり)の桑名とは
此処のことかと思つたから
駅長さんに訊(たず)ねたら
さうだと云つて笑つてた桑名の夜は暗かつた
蛙がコロコロ鳴いてゐた
大雨(おほあめ)の、霽(あが)つたばかりのその夜(よる)は
風もなければ暗かった
(一九三五・八・十二)
「此の夜、上京の途なりしが、京都大阪間の不通のため、臨時関西線を運転す」
(『中原中也詩集』 中原 中也/[著],大岡 昇平/編 岩波書店 1991 より)
これは、詩人中原中也(明治40年(1907)~昭和12年(1937))が詠んだ「桑名の駅」という詩です。
昭和10年(1935)8月、郷里の湯田(山口県)に帰省していた中也は妻とともに、前年に生まれた長男文也を連れて上京します。この上京時、関西地区の豪雨により東海道線が不通になるというアクシデントに見舞われます。そのため大阪から関西線を経由し名古屋へ向かうことになるのですが、途中、桑名で長時間の停車を余儀なくされました。
その際に生まれたのが上記の「桑名の駅」という詩です。
中也の没後、雑誌「文学界」(昭和12年12月追悼号)に遺稿として掲載されました。
中原中也といえば、帽子をかぶった、幼さの残る顔立ちの写真を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
「サーカス」という詩の、ブランコの揺れを表現した「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」という一節も印象的です。
「桑名の駅」が詠まれた翌年、長男文也は幼くして亡くなります。中也は文也の死をとても悲しみ、中也自身もその翌年、30歳という若さで亡くなりました。
中也が残した日記「文也の一生」には、昭和10年(1935)8月、上京の途中、桑名に停車したことが記されています。
関西水害にて大阪にて関西線を経由。桑名駅にて長時間停車。
(『汚れっちまった悲しみに―私の人生観』 中原 中也/著 吉田 凞生/編・解説 大和出版 1992 より)
この詩をぜひ桑名駅に残したいという方々の想いが形になり、桑名駅開業百周年に合わせて、平成6年(1994)7月5日、詩碑が建立されました。

「関西線下り(四日市方面行き)ホームにあります」

「詩が刻まれています」
今やプラットホームはコンクリートで固められ、中也の見た景色とは変わってしまいましたが、詩碑の足元には「綺麗な砂利が敷き詰め」られています。

「関西線上り(名古屋方面行き)ホーム。ここに中也も降り立ったのでしょうか?」
今回、中原中也について書かれたものを読んでいて気づいたことがあります。
中也が亡くなった後、「中原中也賞」が設けられ、新進詩人の優れた創作詩篇に与えられているのですが、第一回(昭和14年)は立原道造、第ニ回(昭和16年)は杉山平一、高森文夫、そして第三回(昭和17年)は平岡潤に授与されました。(この賞は第三回で中止されており、現在の「中原中也賞」とは異なります)
「平岡潤」(明治39年(1906)~昭和50年(1975))といえば、桑名について調べる際、必ず目にする名前です。『桑名市史 本編』『桑名市史 補編』『桑名の伝説・昔話』を編纂された方です。
平岡氏が『茉莉花 詩集』(平岡 潤/著 平岡 潤 1942)を出されていることは知っていました。
けれど、あくまでも郷土史に造詣の深い方という印象で、詩集『茉莉花』で高い評価を受け、「中原中也賞」を受賞されたことは(図書館で働きながら恥ずかしいことですが)知りませんでした。
さらに平岡氏は、詩人であるだけでなく美術にも秀で、自由美術家協会賞(第一回)を受賞しています。画家を志されるほどでした。
仮定の話をすることは失礼かもしれませんが、もし戦争がなければどういう人生を送り、どういう作品を生み出されていたのだろうと思わざるを得ません。
復員後、郷里の桑名に戻ってからは郷土資料の収集、編集、文化財保護に尽力されました。中学校時代の恩師である近藤杢氏を手伝う形で「桑名市史」の編纂を始められます。
桑名市立図書館に勤務されていた時期もあり、私たちの大先輩でもあります。
戦後、荒廃していた秋山文庫(桑名藩儒であった、秋山白賁堂(はくひどう)、その長男寒緑(かんりょく)、次男罷斎(ひさい)の三人の蔵書)の救済に立ち上がり、伊勢湾台風の際には浸水した史料の修復に取り組まれました。
くっついた紙を1枚ずつ剃刀の刃で丹念にはぎとっていく・・・という気の遠くなるような作業をつづけられました。
桑名市立中央図書館の貴重なコレクションである秋山文庫を初めとする郷土資料は、平岡氏や先人の方々によって守られてきたものであり、それらの資料を私たちは託されているのだと思うと、身の引き締まる思いがします。
その後、昭和45年(1970)、桑名市立文化美術館(現在の桑名市博物館)が創設されると初代館長に就任されますが、残念ながら昭和50年(1975)、郷土史の講話のさなかに心筋梗塞の発作で倒れ、亡くなられました。
平岡氏にお会いすることはもうかないません。
けれど残された資料を守り伝えていくことで、その志を受け継いでいくことはできます。
「令和」もいつか歴史の中の一時代となる時がやってきます。
託された資料を守ると同時に、今を記録し伝えていくことも図書館の役割といえます。
改めて図書館の役割と責任を感じる機会となりました。
これから始まる、そしていつか歴史に刻まれる「令和」が明るい時代でありますように。
<参考・引用資料>
『中原中也詩集』 中原 中也/[著],大岡 昇平/編 岩波書店 1991 911.5ナ(書庫)
『新潮日本文学アルバム 30 中原中也』 新潮社 1985 910.2シ(一般)
『ふるさと文学館 第28巻 三重』 ぎょうせい 1995 L980フ(歴史の蔵)
『鉄道の文学紀行 茂吉の夜汽車、中也の停車場』 佐藤 喜一/著 中央公論新社 2006 910.2サ(一般)
『文學界 [1937]12月号』 文藝春秋社 1937.12 L915ブ(歴史の蔵)
『茉莉花 詩集』 平岡 潤/著 平岡 潤 1942 L915ヒ桑名作家(歴史の蔵)
『詩集「茉莉花」と平岡潤 戦争に埋もれた「四季」派詩人』 津坂 治男/著 1992 L904ツ(歴史の蔵)
『桑名の文化 平岡潤遺稿 1』 平岡 潤/著 平岡潤遺塙刊行会 1977 L201ヒ通史(歴史の蔵)
『桑名の文化 平岡潤遺稿 2』平岡 潤/著 平岡潤遺稿刊行会 1977 L201ヒ通史(歴史の蔵)
『桑名市史 本編』 近藤 杢/編,平岡 潤/校補 桑名市教育委員会 1987 AL221ク(桑名三重)
『桑名市史 補編』 近藤 杢/編,平岡 潤/校補 桑名市教育委員会 1987 AL221ク(桑名三重)
『桑名の伝説・昔話』 近藤 杢/編,平岡 潤/編 桑名市教育委員会 1965 AL388ク(桑名三重)
『汚れっちまった悲しみに―私の人生観』 中原中也/著 吉田凞生/編・解説 大和出版 1992 (※ こちらの資料は当館に所蔵しておりません)
<志るべ>
陸地測量師「館潔彦」をご存じですか?
2018年8月11日(土)|投稿者:kclスタッフ
※2022年6月10日
タイトル及び本文に誤りがありました。訂正してお詫び申し上げます。
×測量師 → 〇陸地測量師
こんにちは、「志るべ」です。
みなさまいかがお過ごしでしょうか?
最高気温は更新をつづけ、もはやがまんくらべのような毎日です。
とはいえ、やはり夏!!
海や山へ、この季節ならではのレクリエーションも楽しみたいものですね。
山といえば、8月11日は国民の祝日「山の日」です。
平成28年(2016)より施行された「山の日」は、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」ことを趣旨としています。
この夏、「日本アルプス」にチャレンジされる方もおられるのではないでしょうか。
汗を流してたどりついた山頂から眺める景色は格別です。

北アルプスの「燕岳から望む槍ヶ岳」です。(スタッフ撮影)
登山は、現代でも楽しみと同時に危険を伴うスポーツですが、その昔、前人未到の「日本アルプス」に挑戦するというのはどのような道のりだったのでしょう。
今回ご紹介するのは、そんな登山に取り組んだ人々を描いた一冊です。
『はじめの日本アルプス 嘉門次とウェストンと館潔彦と』(山村 基毅/著 バジリコ 2008)

『はじめの日本アルプス 嘉門次とウェストンと館潔彦と』 山村 基毅/著 バジリコ 2008
嘉門次とは、上條嘉門次(かみじょう かもんじ,1847-1917 ※1918とする資料もあり)のことで、 弘化4年(1847)、上高地に生まれました。
山岳ガイドの草分けといえる人物で、終生、上高地を出ることはありませんでした。
ウェストンと館潔彦(たてきよひこ)、彼らふたりの水先案内人を務め、日本アルプスへと導きました。
当時、案内人に求められたのは、直接的には道案内や荷物の運搬でしたが、彼らは「正確な地理情報、卓抜した投降技術と生活技術、的確な気象判断と臨機応変の対応など」(『目で見る日本登山史』p119)を具えていたといわれ、登山家の篤い信頼を得ていました。
今も彼の曾孫によって、上高地に建つ嘉門次小屋は営まれています。
ウェストンとは、ウォルター・ウェストン(1861-1940)のことで、 日本における近代登山(スポーツや楽しみとしての登山)のパイオニアと言われる人物です。
明治21年(1888)、イギリスから宣教師として来日し、キリスト教を広める一方で趣味の登山を通して日本に近代登山を根づかせました。
上高地では、ウェストンを顕彰する碑が立てられ、例年6月に「ウェストン祭」が開かれています。
そして、館潔彦(たて きよひこ,1849-1927)ですが、 今回、特にご紹介したいのがこの館潔彦という人物です。
ご存じの方もおられるかもしれませんが、館潔彦は桑名にゆかりのある人です。
嘉永2年(1849)、桑名藩士の子として生まれました。
明治に入って、工部省の測量師として任官し、地図を作成するために各地の「三角測量」に従事しました。
退官後は桑名で暮しましたが、昭和2年(1929)、78歳で亡くなり、照源寺に眠っています。
山に登ったことのある方であれば、山頂や見晴らしのよいピーク(山の高くなっているところ)に「三角点」と書かれた標識があるのにお気づきのことと思います。三角点を目にすると、「登った!」という達成感もひとしおです。
登山愛好家の間では、この三角点に愛着を感じる人も多いようです。
図書館には、全国の三角点を紹介したガイドブック、『一等三角点全国ガイド[正]』(一等三角點研究會/編著 ナカニシヤ出版 2011)もあります。
とはいえ、「三角点」は登山の達成感を得るために設けられているわけではありません。
地図をつくるために行われる「三角測量」に必要な基準点なのです。
「三角測量」について、くわしくは国土地理院ホームページで紹介しています。
『絵でわかる地図と測量』(中川 雅史/著 講談社 2015)、『地図を楽しもう』(山岡 光治/著 岩波書店 2008)もご覧ください。
日本の登山の歴史をたどると、趣味やスポーツとしての登山だけでなく、地図を作るための「測量登山」という一面がみえてきます。
全国を歩いて測量し、日本地図を完成した伊能忠敬(1745-1818)には圧倒されますが、伊能忠敬の地図「大日本沿海輿地全図」(『伊能図大全』所収)の空白部分を埋めるために、明治に入ると陸地の測量、測量登山が行われます。
そんな中、館潔彦は中部山岳地域の測量における先駆的な役割をはたしました。
地図作成のために道なき道を歩き、御岳、白馬岳、前穂高岳、乗鞍岳、立山、と誰もが知っている「日本アルプス」の山々の三角点を選点(位置を決める作業)しています。
前穂高岳の選点の際には、館潔彦と思われる人物が滑落し、奇跡的に命びろいしたという逸話も語られています。
今や測量にも人工衛星が用いられる時代となりましたが、文字通り命がけで測量登山に挑んだ先人たちによって、地図は作られてきたのですね。
「山に親しみ、恩恵に感謝する」ためにも、「日本アルプス」へ行きたいのはやまやま(!)ですが、なかなかそうもいきません。そんな時にはぜひ、図書館でその雄大な姿をご覧いただきたいと思います。
紀行文でたどっていただくこともできます。

『日本アルプス百名山紀行』深田 久弥/著 河出書房新社 2000(※版元品切れ中)
一般特集コーナーでは、海や山の本を取り揃えご用意しています。
そして、この夏実際に、「日本アルプス」にチャレンジされる方は、どうぞお気をつけてお楽しみいただきますように。
山の思い出とともに図書館へお越しいただくのをお待ちしております。
<参考図書>
『はじめの日本アルプス 嘉門次とウェストンと館潔彦と』 山村 基毅/著 バジリコ 2008 291.5ヤ(一般)
『目で見る日本登山史』 山と渓谷社/編 山と溪谷社 2005 786.1メ(一般)
『一等三角点全国ガイド[正]』 一等三角點研究會/編著 ナカニシヤ出版 2011 291イ(一般)
『一等三角点全国ガイド 続』 一等三角點研究會/編著 ナカニシヤ出版 2013 291イ2(一般)
『日本登山史』 山崎 安治/[著] 白水社 1977 786(書庫)
『絵でわかる地図と測量』 中川 雅史/著 講談社 2015 448.9ナ(一般)
『地図を楽しもう』 山岡 光治/著 岩波書店 2008 Y448ヤ(ティーン)
『伊能図大全 第1~7巻』 [伊能 忠敬/著],渡辺 一郎/監修 河出書房新社 2013 291イ1~7(一般)
『白籏史朗の日本アルプス 写真紀行』 白籏 史朗/著 新日本出版社 1990 D748シ(一般)
『日本の名山・花彩彩 白籏史朗写真集』 白籏 史朗/著 新日本出版社 1996 748シ(一般)
『日本アルプス百名山紀行』 深田 久弥/著 河出書房新社 2000 291.5フ(一般)
『郷土史を訪ねて』 西羽 晃/著 朝日新聞社名古屋本社 2001 291.5ニ(一般)
『三角点・水準点をつくった人 近代の測量から現代まで』 西田 文雄/著 文化評論 2014 L512ニ(歴史の蔵)
『私の履歴書 経済人32』 日本経済新聞社/編 日本経済新聞社 2004 Z281ワ32(全集)
<志るべ>
「北村文庫」と北村けんじ氏のこと
2017年12月26日(火)|投稿者:kclスタッフ
こんにちは、「志るべ」です。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
気がつけば今年も残すところ、後わずかとなりました。
寒いのは苦手ですが、空気がだんだんと澄んでいく感じは気持ちのよいものですね。
四季のある国でよかったな、と思うことの多いこのごろです。
さて今回は、北村文庫についてご紹介いたします。(こちらの記事もご覧下さい)
今年(2017年)は児童文学作家・北村けんじ氏(1929~2007)が亡くなって10年となります。亡くなる直前、北村氏から児童文学に関する資料を寄贈していただきました。
桑名市立中央図書館では、北村氏ご自身の著作をはじめ児童文学関係の雑誌、自筆原稿、書簡などの資料を「北村文庫」として保管しています。
北村文庫は、北村氏を研究する上で、また当時の児童文学を取り巻く環境を知る上でも貴重な資料群であり、「桑名市立中央図書館の地域文庫コレクション」を構成する大切な文庫ということができます。

「歴史の蔵」に「北村文庫」のコーナーがあります。

「北村文庫」の解説と同人誌リストを置いています。
北村けんじ氏は、本名を北村憲司といい、昭和4年(1929)、福岡県山門郡瀬高町(やまとぐんせたかまち・現在のみやま市瀬高町)に生まれました。3才で桑名郡多度村(現在の桑名市多度町)へ転居し、その後を多度で過ごしています。
終戦後の昭和22年(1947)、18才で恩師の勧めにより母校である多度小学校(現在の多度中小学校)の助教諭になり、平成2年(1990)、母校の校長を最後に教員生活を終えました。
もともと文芸に興味があり、学芸会の脚本などをすべて自分で書くことからはじめ、児童文学に本格的に取り組むようになったそうです。
当時は児童文学への認識が低く、なかなか出版できる機会に恵まれず、初めて本を出すことができたのは38才の時でした。
教師の勤めから帰ると自室にこもり執筆するという生活を、40年余り続けられたといいます。
教師を退職後は三重大学や四日市大学で講師を勤め、三重児童文学の会、日本児童文芸家協会、日本児童文学者協会に所属し、同人誌の顧問として後進の育成にもあたられました。
代表作『まぼろしの巨鯨(おおくじら)シマ』(北村けんじ/作,瀬川康男/え 理論社 1978)での第19回サンケイ児童出版文化賞受賞をはじめ、数々の賞を受賞されています。

『まぼろしの巨鯨シマ』 北村けんじ/作,瀬川康男/え 理論社 1978
児童文学界に多大な貢献をされた北村氏ですが、少しでも身近に感じたく、失礼ながらここからは、「北村さん」と呼ばせていただきたいと思います。
北村さんは、児童文学への想いを次のように語っておられます。
児童文学は、人間としてどう生きたらいいかという理想を求めていくものです。子どものものとはいえ、人間としての根元的なものに取り組んでいる、そんなことを日々考えています。
(『瞬間(とき)の浪漫 平成12年度多度町勢要覧』 平成14年11月修正版 多度町 2002 より)
北村さんの作品には時代や景色、そしてそこに暮らす人々や子どもたちの姿が丁寧に描かれています。ご自身の教師生活をもとに、学校生活を描いた作品も多くあります。
北村さんの作品は、子どもたちとかかわりを深める中から生まれたものといえます。
また、多度を舞台にした作品も多く見られ、「あっ、これはあの場所のことかな?」と思う記述にも出会います。
最後の作品となった『クジャク砦からの歌声』(北村けんじ/作,石倉欣ニ/絵 小峰書店 2003)は、昭和22年4月のある朝、一人の17才の青年が代用教員として、小学校の正門につづく坂道を歩いていく場面から始まります。その姿は、18才で助教諭として母校の門をくぐった北村さんの姿と重なります。
北村さんが赴任した多度小学校は、作品の中では太生(たお)小学校として描かれています。
この作品は、書きたい、書きたいと思いながら、書いては消し、書き上げるのに十数年を費やした、と「あとがき」に書いておられます。

『クジャク砦からの歌声』 北村けんじ/作,石倉欣ニ/絵 小峰書店 2003
どうしてそれほど時間を費やしたのでしょう?
少し長いですが、「あとがき」の言葉を引用させていただきます。
教師の眼で書けば、教師の実践、実録物語に陥り、子どもの眼で見れば、どうも単調な学校物語になってしまうような気がします。
私が密かに思っていたのは、教師と子どもの対等な目線で火花を散らし、たとえもがき合うことはあっても、快活、ユーモラスな「明日」が見えてくるような、そんな物語を描きたかったのです。今やっと、そんな境地に立ってペンが動き始めました。
私をつき動かしたのは、この物語に登場する子どもたちも、すでにおとなになり、私と同じ原風景を持っていることに気づいたからです。そして、その共通意識が強くなればなるほど、一見繁栄しているかにみえて、疲弊している今の時代を、逆噴射したい。そんな気持ちにつながっていきました。
(『クジャク砦からの歌声』北村 けんじ/作,石倉 欣二/絵 小峰書店 2003「あとがき」より)
あとがきの言葉からは、北村さんの想いが伝わってきます。
その想いが作品という形になるために、十数年という時間が必要だったことが わかります。
この物語が最後の作品であることも印象的です。
多度の町に思い出のある方、北村さんと同じ時代を生きた方、同じ原風景を持つ方、そして当時をまったく知らない世代の子どもたちにも、作品を読んで北村さんの想いを感じていただければと思います。
<参考資料>
『桑名市立中央図書館 開館10周年記念 地域文庫コレクション 秋山文庫・伊藤文庫・堀田文庫・北村文庫・貝塚文庫』 桑名市教育委員会務局生涯学習課中央図書館 2015 AL026ク
※こちらの冊子はご希望の方に無料で配布しています。
『瞬間(とき)の浪漫 平成12年多度町勢要覧』 平成14年11月修正版 多度町(三重県) 2002 AG318.2タ
『まぼろしの巨鯨(おおくじら)シマ』北村 けんじ/作,瀬川 康男/え 理論社 1978 YL913キ
『クジャク砦からの歌声』北村 けんじ/作,石倉 欣二/絵 小峰書店 2003 YL913キ
「志るべ」
『慶長自記』から見る桑名
2017年7月11日(火)|投稿者:kclスタッフ
「ブックとラック」をご覧のみなさま、こんにちは。
次第に強くなる日差しに、夏の訪れを感じている< かぶら >です。
以前、桑名城についてご紹介した記事「絵図で見る桑名城」の中で、 『慶長自記』という資料について少し触れました。
今回は、『慶長自記』についてご紹介します。
『慶長自記』とは、慶長4年(1599)秋から慶長20年(1615)正月までの桑名の出来事を記した資料です。
著者は、船馬町で酒屋を営んでいた太田吉清です。
冒頭には、
慶長四年己亥秋米判金一枚四十九石、其後四十八石より七、六、五、四石なり。
と、慶長4年秋の物価が細かに記されています。
『慶長自記』は、当時の物価記録が多く記されており、吉清が商売を生業としていることが伺えます。
「同(慶長)三戊年に治田(員弁郡北勢町)に銀山出」とあり、この付近で銀が採れたことがわかるなど、桑名の歴史を辿る上で貴重な資料です。
また、慶長6年(1601)4月24日。
この日、桑名藩初代藩主・本多忠勝が初めて桑名城へ入ったことも記されています。
忠勝は、徳川家康に仕えた小牧長久手の戦いや、小田原攻めなど数々の合戦でその豪勇を賞賛されました。
そして慶長5年(1600)関ヶ原の戦いでまた大功を立て、翌6年に伊勢桑名藩の初代藩主となったのです。
『慶長自記』には、桑名の藩主となってから忠勝が行った「慶長の町割」といわれる町の整備についても記されています。
忠勝の行った町割が今も市内の随所に残っていることは、あまり知られていません。
「慶長の町割」については、
桑名町割の事、五月の末に被仰付、六月十八日に普請始り、エミトホリコノ舟入ほられ申候。
(中略)町中家蔵こぼち、春日の内に小屋をさし、取はらい、
と、 忠勝が行った町割は、町中の家や蔵を壊し、作り直すなど徹底されたものでした。
家を追われた人々は春日神社の境内に仮小屋を建てたり、川に浮かべた筏の上で生活を行うほどだったようです。
忠勝が慶長17年(1612)11月に春日神社に鳥居を寄進したことにも触れています。

現在の春日神社鳥居(スタッフ撮影)
現在の春日神社の鳥居は青銅の鳥居として有名ですが、忠勝が寄進した当時のものは木材で出来ていました。
鳥居建設にかかった材木等の費用や、大工の名前や行事などが、『慶長自記』に記されています。
『慶長自記』は、『桑名市史 補編』、『日本都市生活史料集成 7 港町篇』で活字化された資料として読むことが出来ます。
一人の町人として桑名を見つめた吉清の視点で、桑名の歴史を振り返ってみるのもまた面白いかもしれません。
ぜひ一度、手に取ってご覧ください。 
▼関連資料
『桑名市史 本編』 近藤 杢/編,平岡 潤/校補 桑名市教育委員会 1987
『桑名市史 補編』 近藤 杢/編,平岡 潤/校補 桑名市教育委員会 1960
『日本都市生活史料集成 7 港町篇』 原田 伴彦/[ほか]編集 学研 1982
『寛政重修諸家譜 第7 新訂』 続群書類従完成会 1980
『国史大辞典 1 あ~い』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1979
< かぶら >
『ぼくがサムライになった日』
2017年5月9日(火)|投稿者:kclスタッフ
上げ馬ばかりは、かけや。
そのいっしゅんに、
馬と人が
ひとつのからだに
なるか、なれんか。
そして、土の壁と
火花散らす
たたかいや。
(『ぼくがサムライになった日』 北村けんじ/作 今井弓子/絵 金の星社 1983 「はじめに」より)
こんにちは、「志るべ」です。
新緑がまぶしい季節になりました。
五月の風の中、今年も多度の町では上げ馬神事が行なわれました。
『ぼくがサムライになった日』という作品は、
上げ馬神事を題材に書かれた作品で、作者は多度の児童文学作家、北村けんじ氏(1929~2007)です。
今回はこの作品をご紹介します。
ご存じのとおり、上げ馬神事は毎年5月4日、5日に多度大社で行われる例祭「多度祭」の神事です。
境内に造られた急な斜面を人馬一体となって駆け上がるという勇壮な神事で、うまく上がればその年は豊作とされています。最初に駆ける馬が上がれば早稲(わせ)の米が豊作、後の馬が上がれば晩稲(おくて)が豊作とも言われます。
昭和53年(1978)、三重県の民俗無形文化財に指定されました。
主人公「ぼく」は、多度の小山(おやま)に住む小学4年生の男の子「湯山マサキ」です。
マサキのおとうさんはシンガポールに出張中で、今はおかあさんと二人暮らしをしています。
物語は3月の終わりから始まります。
上げ馬の乗り子が決まる4月1日を目前に控え、マサキの祖父「馬屋のおっちゃん」の心は、早くもうきうきし始めていました。
馬を売っているわけでもないのに祭や馬のことならなんでも知っているおっちゃんは、みんなから「馬屋のおっちゃん」と呼ばれていました。
祭が大好きなおっちゃんですが、ここ10年ほど身内から誰も参加するものがなく、近所の子どもたちにも断られ、さびしい思いをしていました。
なんとかしたいおっちゃんは、孫のマサキを預かって戸津(とづ)の子として弓取りにしようと考えます。弓取りは乗り子の御付きをつとめる重要な役目です。
さいわい戸津の中には他に弓取りを志願するものがなく、おっちゃんの作戦はすんなり成功、大喜びなのでした。
乗り子は中学3年生のコウジ
ふたりの前に現われたのは、くり毛の馬サスケでした。
上げ馬に成功するにはまず馬に慣れ、馬との信頼関係を築かなければなりません。
上げ馬本番に向けて、マサキとコウジの特訓が始まります。
はたしてふたりはサスケと心を通わせることができたのでしょうか。
そして、コウジと馬は壁を駆け上がることができたのでしょうか。
つづきは作品をお読みいただければと思います。
現在4階歴史の蔵の前では「上げ馬神事~人馬一体の挑戦~」と題して、6月27日まで特集展示を行っています。

上げ馬神事や多度大社の資料を揃えています。

『ぼくがサムライになった日』も貸出しています。
北村さんは作品のあとがきでこう書いています。
・・・そして、あっという間に祭が過ぎ、そのあとにいやにおとなっぽい充実感と、はかなさのまじり合った、なにかあまずっぱいものまで感じたものでした。・・・
祭は、少年が成長していく中で経る、通過儀礼のひとつであるのかもしれませんね。
物語の最後に、祭を終えたマサキがシンガポールの父親に手紙を書く場面があります。そこにいるマサキは少し大人になっているようでした。
作者の北村けんじ氏より寄贈していただいた児童文学関係の資料は、「北村文庫」として桑名市立中央図書館に保管されています。
「北村文庫」については、また改めてご紹介したいと思います。
<参考資料>
『ぼくがサムライになった日』 北村 けんじ/作,今井 弓子/絵 金の星社 1983 YL913キ
『桑名市立中央図書館 開館10周年記念 地域文庫コレクション』 桑名市教育委員会事務局生涯学習課中央図書館 2015 AL026ク (☆希望者には無料配布を行っています。)
『瞬間(とき)の浪漫 平成12年多度町勢要覧』 平成14年11月修正版 多度町(三重県) 2002 AG318.2タ
『多度町史 民俗』 多度町教育委員会/編 多度町 2000 AL221タ
「志るべ」

