桑名・三重カテゴリの記事一覧
桑名ゆかりの有名人
2023年2月14日(火)|投稿者:kclスタッフ
こんにちは、かぶらです。
近頃、テレビ番組や新聞などで桑名ゆかりの人物が取り上げられているのをよく目にします。
やはり、大河ドラマの影響って凄いんだなぁと驚く毎日です。
ところで、今回の大河ドラマでも活躍する「桑名ゆかりの人物」に、どんな人がいるかはご存じでしょうか?
よくは知らないけれど、名前は聞いた事がある!というあの人やこの人も、実は桑名にゆかりがあるのです。
大河ドラマをきっかけに戦国時代に興味を持たれた方も。歴史の本は何だか難しそうだから…とこれまで避けていた方も。
どなたでも手に取りやすく、わかりやすい作品を今回はご紹介いたします。
まずは、徳川家康を支え、「戦国最強」ともいわれた徳川四天王・本多忠勝。

柿安コミュニティパーク(吉之丸コミュニティパーク)に銅像が建っているので、ご存じの方も多いのではないでしょうか?
小牧長久手の戦いや、小田原攻めなど数々の合戦でその豪勇を賞賛された忠勝。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いでまた大功を立て、慶長6年(1601)4月24日、桑名藩初代藩主として桑名へ入りました。
忠勝は「慶長の町割」といわれる大規模な町の整備を行い、今も町割りの名残が随所に見られます。
「慶長の町割」の様子は、船馬町で酒屋を営んでいた太田吉清が当時の出来事を記した『慶長自記』に残されています。
『慶長自記』については、過去のブログでご紹介していますのでご覧ください。
「『慶長自記』から見る桑名」(2017.7.11公開)
慶長15年(1610)10月18日に63歳で亡くなった忠勝は、桑名の浄土寺に葬られました。

『本多忠勝 コミック版日本の歴史 53』
(加来 耕三/企画・構成・監修,井手窪 剛/原作,かわの いちろう/作画 ポプラ社 2016年刊)
忠勝が用いた武器として有名な「蜻蛉切」などの三名槍や、“徳川に仇なす”といわれた「村正」について解説された本。

『名槍図鑑』
(ホビージャパン 2021年刊)
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二人目は、徳川家康の危機を救った人物として名高い、服部半蔵です。
天正10年(1582)6月2日、京都本能寺で織田信長が明智光秀に討たれた時、家康は堺にいました。
身の危険を感じた家康は、わずかな家臣を連れて伊賀を抜け三河の国へ帰ります。
この時、地元の土豪を説得し、警固に付けて無事に伊賀を抜けさせたのが、先祖の出自が伊賀である服部半蔵正成でした。
その後、遠江国に八千石を賜り、関東入国後に伊賀同心200人を預けられました。
服部石見守正成が正式な名乗りで、慶長6年(1601)に亡くなります。
正成の子、正就が父の跡を継ぎ、八千石の内の三千石を弟の正重に分け与えられました。
後に正成の子孫達は桑名藩の家老職となり、「半蔵」の名乗りは正重の家が継ぎました。
幕末、正重の家系の正義が桑名藩の家老を勤めました。
彼は21歳の時に家老となり、京都所司代として京都にいる藩主・松平定敬を支えます。
正義の実弟は同じく家老の酒井孫八郎で、幕末の桑名藩は彼らの奔走により再興されました。

『服部半蔵 コミック版日本の歴史 56』
(加来 耕三/企画・構成・監修,水谷 俊樹/原作,早川 大介/作画 ポプラ社 2017年刊)
虚実混在の人物の墓から架空の主人公など、全国各地にある不思議な墓や意外な墓を紹介。
東京にある服部半蔵正成の墓や、皇居の半蔵門についても取り上げられています。

『お墓からの招待状』
(合田 一道/著 北海道出版企画センター 2017年刊)
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最後は、徳川家康の孫・千姫です。
千姫は慶長2年(1597)、京都伏見で生まれました。
父親は徳川2代将軍・秀忠、母親はNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」のヒロイン・江。
母方の祖父は浅井長政、祖母は織田信長の妹・お市の方です。
慶長8年(1603)千姫は、母方のいとこにあたる豊臣秀頼に嫁ぎます。千姫わずか7歳、秀頼11歳の政略結婚でした。
元和元年(1615)、大坂夏の陣で大坂城は落城し、義母・淀殿と秀頼は自害します。
千姫は家康の命により落城前に助け出されました。
助け出された千姫は江戸に戻る途中で桑名に立ち寄っています。
この時の桑名城主が、本多忠勝の嫡男・忠政です。
桑名から熱田へ向かう千姫の旅の供を務め、七里の船旅を指揮したのが、忠政の嫡男・忠刻でした。
忠刻は美男な上、剣の名手でもあり、この道中で千姫が忠刻を見初めたといわれています。
江戸に戻った千姫は祖父・家康に、忠刻に嫁ぎたいと申し出ました。こうして二人の結婚が実現。
この時、千姫の化粧料(持参金)として員弁郡八田郷一万石と鉱山が桑名藩領になりました。
元和3年(1617)に国替えで本多家が姫路に移るまでの10カ月、二人は桑名で新婚生活を過ごしました。
千姫が奉納したといわれる祖父・家康の木像が、今も春日神社に残されています。
忠勝が桑名で行った慶長の町割りの様子や、大坂城を脱出した千姫が忠刻と出会う様子などがマンガでわかりやすく描かれている作品。

『夢の回廊 慶長の町割と千姫物語』
(古城 武司/漫画 2001年刊)
時代に翻弄されながらも、凛として生きた千姫の生涯を描いた小説。

『姫君の賦』
(玉岡 かおる/著 PHP研究所 2018年刊)
いかがでしたでしょうか?
今回ご紹介した本は、ごく一部のものです。
忠勝や半蔵、千姫についてもっと知りたい!と思われた方は、ぜひ中央図書館で本を探してみてください。
桑名や三重県に関する本は、4階の「桑名・三重コーナー」や「歴史の蔵」にございます。
子どもさんにも読みやすい本は、3階の「YL 子どものための郷土資料」にご用意しています。
希望の本が見つけられない時は、いつでも図書館スタッフにお尋ねください。
<かぶら>
博物館×中央図書館 令和4年度ML連携企画(第5弾)「秋の夜長の物語 –中世の逸話-」を開催します!
2022年9月20日(火)|投稿者:kclスタッフ
ML連携とは、博物館(Museum)と図書館(Library)が連携し、共通のテーマに沿って企画展示やセミナーを開催する協力活動です。
中央図書館では、博物館展示のテーマに合わせた関連書籍の展示や、博物館職員等によるセミナーを行います。
第5弾は博物館展示「秋・ものや想ふ」の開催に合わせて、関連書籍展示と桑名市博物館 歴史専門官によるセミナー「秋の夜長の物語 –中世の逸話-」を行います。
<セミナー紹介>
秋はなぜかもの悲しく想う季節です。これは月に対する古代人からのDNAかも知れません。『万葉集』を始め多くの歌集に月の名歌が出てきます。
そして、秋と言えば現代では「読書の秋」ですが、昔は「秋の夜長」に囲炉を囲んでお話が始まります。特に中世の戦いの中から生まれた物語は好まれ、『平家物語』などが生まれています。秋の夜長の物語を聞いて中世にものや想ってはいかがでしょうか?
※状況により変更・中止となる場合がございます。予めご了承いただきますようお願いいたします。
<日程>
博物館×中央図書館 令和4年度ML連携企画 セミナー「秋の夜長の物語 –中世の逸話-」
講師:桑名市博物館 歴史専門官 大塚 由良美
日時:10月1日(土) 午後1時30分から午後3時
場所:くわなメディアライヴ 2階 第一会議室
定員:50名(先着順、事前申込制)※定員になり次第締め切ります
申込み方法:直接窓口、または電話で中央図書館へ
申込み開始:9月22日(木)午前10時30分~ ※受付は各日午後5時まで
問い合わせ:桑名市立中央図書館 〒511-0068 桑名市中央町三丁目79 0594-22-0562
「歴史の蔵」へようこそ
2021年11月1日(月)|投稿者:kclスタッフ
こんにちは、「志るべ」です。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。
秋も深まり、旅に出るのに絶好の季節となってまいりました。
けれど、まだまだ心配な新型コロナウイルス。
なかなか遠くに行けない今、地元桑名をみつめ直してみてはいかがでしょうか?
そんな時にご利用いただきたいのが当館4階の「歴史の蔵」です。
今回は「歴史の蔵」をご案内したいと思います。
3階から見上げると、あの桑名の連鶴(「桑名の千羽鶴」)が見えるのをご存じでしょうか?
連鶴の奥に見えるガラスの部屋が「歴史の蔵」です。
中央の階段を上がっていただくと、正面に見えます。
こちらが「歴史の蔵」の入口です。

入口はこちら。ガラスに囲まれています。
「歴史の蔵」には、桑名を中心に三重県に関する資料が収められています。
扉の隣に描かれている絵図は、江戸時代の桑名城下を描いた「文政年間桑名市街之図」(桑名市博物館蔵)
文政6年(1823)の移封(大名の配置替え)の時、桑名藩によって描かれた絵図で、御城とその周辺に住む藩士の家がわかる、いわば住宅地図のようなものです。
『徳川四天王の城-桑名城絵図展-』(桑名市博物館 2016.3 p54,解説p125)、『目でみる桑名の江戸時代』(桑名市立文化美術館/編集 桑名市教育委員会 1983.12 p12-13)に掲載されています。
桑名市立中央図書館では、同様の絵図「桑名藩城下図 文政8年(明治45年写)」(『桑名藩史料集成 付図』桑名市教育委員会 1990.10所収)をご覧いただくことができます。
「歴史の蔵」には数々の貴重な資料が収められています。そのため、入室には利用申込書の記入をお願いしています。
また手荷物はロッカーへお預けください(100円は後で戻ります)
室内に持ち込めるのは筆記用具(鉛筆)と貴重品のみとなります。
万一資料にペンが触れた場合、インクは消すことが難しいため、筆記具は鉛筆の使用をお願いしています。
それではいよいよ中に入りましょう。
室内は少し暗く、ひんやりと感じられます。
「図書館ツアー」の際には参加された方から、「なんだか空気が違う!」という声が聞かれました。
この部屋には、資料を守るためのさまざまな工夫がなされています。
温度を管理し、光による資料の劣化を防ぐため無紫外線褪色防止蛍光灯を使用し、照度も落としています。
また、万一火災が発生した場合、自動消火できる装置も備えています。
そのため外とは「空気が違う」と感じられるのでしょうか。
でもそれだけではないのかも・・・
何百年を経て今に伝わる文書が特別な空気を醸し出しているのかもしれませんね。
「歴史の蔵」の中はこんな配置になっています。

書架の側面に配置図が貼ってあります。
最初に三重県の資料が並んでいます。

三重県の資料がずらりと並んでいます。
次に桑名の資料がテーマごとに集められています。
テーマは次のとおりで、調べたいテーマで資料を探すことができます。
・通史、上代、中世、江戸、幕末維新、新選組、明治大正、昭和~
・桑名人物、松平定信、諸戸清六
・伊勢湾台風、戦災
・石取祭、伊勢大神楽、多度祭
・鋳物、千羽鶴
・桑名詩歌、桑名俳句、松尾芭蕉、桑名小説、桑名随筆、桑名作家、金雀枝
・桑名文化財、桑名埋蔵
・桑名PFI、桑名行政、桑名統計
図書だけでなく雑誌、紀要、新聞縮刷版(中日新聞の三重・北勢版)、地図、年鑑、行政・統計資料なども収められています。

書架の側面に案内が掲示されています。
奥に進むと「地域文庫」が並んでいます。
「地域文庫」とは、桑名にゆかりのある方から寄贈していただいた蔵書をまとめたもので、中には桑名市立中央図書館にしかない貴重な史料も含まれています。
桑名藩儒・秋山白賁堂親子の蔵書「秋山文庫」、桑名市の伊藤家に伝わる「伊藤文庫」、桑名市在住の民俗学者・堀田吉雄氏の蔵書「堀田文庫」、多度町在住の児童文学作家・北村けんじ氏の蔵書「北村文庫」、貝塚家(初代桑名市長貝塚栄之助氏の家系)の東洋学者・貝塚茂樹氏の蔵書「貝塚文庫」があります。

文庫紹介のパネルが立ててあります。

史料は「帙」で保護されています。
「秋山文庫」は、桑名藩(久松松平家)の史料を中心としています。天明期までの家臣の由緒を収録した『天明由緒 文政十丁亥』や久松松平家家中永代分限帳(家格、役割、扶持嵩などを記したもの)といえる『本の籬(もとのまがき)』などもあります。
これら貴重な史料は「帙(ちつ)」という中性紙でできた入れ物に納めて保管されています。
桑名市立中央図書館では、資料の状態を守りながら広くご利用いただくために地域資料のデジタル化を行い、ホームページで一部を公開しています。『天明由緒 文政十丁亥』、『本の籬(もとのまがき) 』も原本をホームページでご覧いただくことができます。活字で読みたいという方のためには『天明由緒 桑名藩士の来歴』(藤谷 彰/編集 桑名市教育委員会 2008.3)、『本の籬(もとのまがき)』(『桑名藩史料集成』 桑名市教育委員会 1990 所収)もあります。
最後に壁面をご案内します。
こちらには歴史の専門書が置かれています。

歴史の専門書が並んでいます。
日本史を研究する上での基礎史料(古典籍)の集成ともいえる『国史大系(全67冊)』(吉川弘文館 1998-2001)、寛政年間(1789-1801)に幕府が編集した大名や旗本の家譜集である『寛政重修諸家譜(全26冊)』(続群書類従完成会 1981)等々、歴史をじっくり調べる際の必需品(本)が並んでいます。
歴史の蔵についてご案内してまいりましたが、桑名や三重、そして歴史を調べる際の強い味方が「歴史の蔵」です。
歴史を学び、桑名を再発見する場として、ぜひ「歴史の蔵」をご利用ください。
<参考資料>
『桑名市立中央図書館 開館10周年記念 地域文庫コレクション』桑名市教育委員会事務局 生涯学習課 中央図書館 2015.3 AL/026/ク
『徳川四天王の城-桑名城絵図展-』桑名市博物館 2016.3 AL/221/ク
『目でみる桑名の江戸時代』 桑名市立文化美術館/編集 桑名市教育委員会 1983.12 AL/221/ク
『桑名藩史料集成 付図』桑名市教育委員会 1990.10 L/292/ク/地図
『天明由緒』 L/AKI/テ
『天明由緒 桑名藩士の来歴』 藤谷 彰/編集 桑名市教育委員会 2008.3 AL/221/テ
『本の籬(もとのまがき)』 L/AKI/モ
『本の籬(もとのまがき)』(『桑名藩史料集成』 桑名市教育委員会 1990 AL/221/ク 所収)
<志るべ>
桑名駅が生まれ変わりました!
2020年10月24日(土)|投稿者:kclスタッフ
こんにちは、「志るべ」です。
朝夕、めっきりすずしくなりましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?
今年の夏は、熱中症対策とコロナ対策、本当にたいへんでした。
と、息つく暇もなく、次はインフルエンザ対策とコロナ対策、油断はできません。
そんな緊張のつづく日々ではありますが、桑名にニュースが・・・
桑名駅が新しくなりました!
2017年にスタートした「桑名駅自由通路」の工事が終了し、踏切まで迂回しなくても東西を自由に通行できるようになりました。
以前のブログでご紹介した場所がこの通り。
こちらは、新旧の桑名駅入口です。
電車を降りて、いつものホームを上がると、改札の向こうには見たことのない景色が広がっています。
オシャレな長い通路、なんだか知らないところに来たみたい。
旅先の駅に降り立ったような新鮮な気持ちになりました。
列車に揺られて、遠くへ行く旅はもちろんすてきですが、いつもの町も少し角度を変えれば、違う景色が見えてくるようです。
この時期だからこそ、住み慣れた桑名の町を旅の気分で歩いてみませんか?
今回、町歩きのおともにご紹介したいのが、桑名のガイドブック『久波奈名所図会』です。
なにやら古めかしいタイトルですが、それもそのはず、書かれたのは江戸時代。序文の日付は享和2年(1802)7月、奥付には文化元年(1804)6月とあります。
ガイドブックは最新版を見るのが基本ですが、ここまで古いとまた別の景色が見えてくるのではないでしょうか。
享和2年から文化元年といえば、初めて実測による日本地図を完成させた、あの伊能忠敬(いのう ただたか)が測量のために日本中を歩いていたころです。伊能忠敬の緻密さと粘り強さ、そしてその健脚ぶりには圧倒されますが、『久波奈名所図会』の作者にも驚かされます。
書いたのは、長円寺(伝馬町)の住職、魯縞庵義道(ろこうあん ぎどう)
この名前、どこかで聞いたことあるという方、おられるのではないでしょうか。桑名の方ならご存じ、あの連鶴「桑名の千羽鶴」の折り方を考案した人物です。
「桑名の千羽鶴」は一枚の紙から複数羽(97羽のものまであります)の連続した鶴を折る独特の連鶴で、桑名市の無形文化財(芸能)に指定されています。
もともと地理や歴史に興味があった義道は、桑名の地理、歴史を研究して地誌『桑府名勝志』を書きあげました。
ところが『桑府名勝志』は少しむずかしくて読みづらいため、誰もが読めるように、挿絵を入れてやさしくまとめ直しました。こうして『久波奈名所図会』が生まれました。
『久波奈名所図会』(長円寺所蔵)も桑名市の有形文化財(典籍)に指定されています。
当時、名所旧跡を挿絵入で紹介した「名所図会」がはやっていました。京の都を描いた『都名所図会』や桑名の時雨蛤も登場する『東海道名所図会』を参考に、『久波奈名所図会』も編集されました。
「名所図会」の魅力はなんといっても挿絵。挿絵の善し悪しで売れ行きが左右されると言われるほどでした。義道はその挿絵を、鍋屋町の工藤麟溪(くどう りんけい)に依頼しました。
麟溪は俳人で、義道も俳句を嗜んでいたことからつながりがあったのではないかと考えられています。
出版をめざして編纂された『久波奈名所図会』ですが、刊行されることはありませんでした。どういう事情があったのでしょうか?
本として出版されなかったのは少し残念ですが、義道が『久波奈名所図会』を書き残してくれたおかげで、わたしたちは今、当時の桑名を知ることができるのですね。
連鶴の折り方を編み出し、桑名の歴史や地理を研究し、『久波奈名所図会』をはじめ数々の著作を残した義道は、まさに「スーパー」住職です。
では少し、『久波奈名所図会』を開いてみましょう。
こちらは、当時の豪商山田彦左衛門の庭園です。
今は、「諸戸氏庭園」となり、紅葉の季節には一般公開されています。
国の重要無形文化財にも指定されている「伊勢大神楽」の様子が「大々神楽獅子舞図」に描かれています。右ページでは「獅子舞」が、左ページでは「放下芸」(曲芸)が行われています。
今も、大福田寺の桑名聖天火渡り祭で「伊勢大神楽」が行われています。

大福田寺で行われた「伊勢大神楽」の獅子舞(スタッフ撮影)

大福田寺で行われた「伊勢大神楽」の放下芸(スタッフ撮影)
その大福田寺は、
今の大福田寺山門は、こちら。
桑名の町は変わったのでしょうか?それとも、変わっていない?
『久波奈名所図会』を手に、当時の町やそこに暮らす人々に思いを馳せながら、町歩きに出かけてみませんか?
<参考資料>
※桑名市立中央図書館では『久波奈名所図会』の写本と翻刻本(活字本)を所蔵しています。
(写本)
『久波奈名所図会』〔義道/著〕,〔工藤 麟渓/書・画〕享和2年[1802]序 3冊 L292ギ
『久波奈名所図会 上』〔義道/著〕,〔工藤 麟渓/装画〕享和2年7月序 1冊 L292ギ
(翻刻本)
『久波奈名所図会 影印校注 上巻』 義道/著,工藤 麟渓/装画 久波奈古典籍刊行会 1977 AL292ギ
『久波奈名所図会 影印校注 中巻』 義道/著,工藤 麟渓/装画 久波奈古典籍刊行会 1977 AL292ギ
『久波奈名所図会 影印校注 下巻』 義道/著,工藤 麟渓/装画 久波奈古典籍刊行会 1977 AL292ギ
『桑府名勝志 1~6』 義道/編 北勢史談会 1951 L292ソ
※デジタル資料を公開(PDFファイルで開きます)
『桑名市博物館紀要 第14号』 桑名市博物館 2020 AL069ク
『連鶴史料集 魯縞庵義道と桑名の千羽鶴』 桑名市博物館/編纂 岩崎書店 2016 AL754レ
<志るべ>
「昭和」から「平成」、そして「令和」へ
2019年6月8日(土)|投稿者:kclスタッフ
こんにちは、志るべです。
みなさまいかがお過ごしでしょうか?
新元号「令和」がスタートしました。
平成への名残惜しさを感じつつも、新しい時代に対する期待が高まります。
今、桑名駅周辺も大きく変わろうとしています。
「桑名駅自由通路整備事業」の工事、真っただ中です。

「サンファーレから見た桑名駅。塀の向こうで工事が行われています」
この通路が完成すると、踏切まで迂回せずに駅の東西を通行できるようになります。
(くわしくは、桑名市ホームページの桑名駅周辺地区整備構想、桑名駅自由通路整備事業をご覧ください)
現在の桑名駅周辺の姿は、昭和44年の「桑名駅前市街地再開発事業」によって整備、開発されました。
建物が取り壊されてなくなってしまうと、「あれ?ここ何があったっけ?」と思うことがあります。
いつも見ている場所なのに・・・と記憶のあやふやさに驚きます。
桑名市立中央図書館では、「薄れ行く昭和の記憶の風化を防ぐ」ために資料を収集し、年に一度「昭和の記憶収集資料展」を開催していますが、新しい時代を迎え、昭和がまたひとつ遠くなりました。
昭和の初め、桑名駅からはどんな景色が見えたのでしょう?
昭和10年の桑名駅を詠んだ詩があります。
桑名の夜は暗かった
蛙がコロコロないてゐた
夜更け(よふけ)の駅には駅長が
綺麗な砂利を敷き詰めた
プラットホームに只(ただ)独り
ランプを持つて立つてゐた
桑名の夜は暗かつた
蛙がコロコロ泣いてゐた
焼蛤貝(やきはまぐり)の桑名とは
此処のことかと思つたから
駅長さんに訊(たず)ねたら
さうだと云つて笑つてた桑名の夜は暗かつた
蛙がコロコロ鳴いてゐた
大雨(おほあめ)の、霽(あが)つたばかりのその夜(よる)は
風もなければ暗かった
(一九三五・八・十二)
「此の夜、上京の途なりしが、京都大阪間の不通のため、臨時関西線を運転す」
(『中原中也詩集』 中原 中也/[著],大岡 昇平/編 岩波書店 1991 より)
これは、詩人中原中也(明治40年(1907)~昭和12年(1937))が詠んだ「桑名の駅」という詩です。
昭和10年(1935)8月、郷里の湯田(山口県)に帰省していた中也は妻とともに、前年に生まれた長男文也を連れて上京します。この上京時、関西地区の豪雨により東海道線が不通になるというアクシデントに見舞われます。そのため大阪から関西線を経由し名古屋へ向かうことになるのですが、途中、桑名で長時間の停車を余儀なくされました。
その際に生まれたのが上記の「桑名の駅」という詩です。
中也の没後、雑誌「文学界」(昭和12年12月追悼号)に遺稿として掲載されました。
中原中也といえば、帽子をかぶった、幼さの残る顔立ちの写真を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
「サーカス」という詩の、ブランコの揺れを表現した「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」という一節も印象的です。
「桑名の駅」が詠まれた翌年、長男文也は幼くして亡くなります。中也は文也の死をとても悲しみ、中也自身もその翌年、30歳という若さで亡くなりました。
中也が残した日記「文也の一生」には、昭和10年(1935)8月、上京の途中、桑名に停車したことが記されています。
関西水害にて大阪にて関西線を経由。桑名駅にて長時間停車。
(『汚れっちまった悲しみに―私の人生観』 中原 中也/著 吉田 凞生/編・解説 大和出版 1992 より)
この詩をぜひ桑名駅に残したいという方々の想いが形になり、桑名駅開業百周年に合わせて、平成6年(1994)7月5日、詩碑が建立されました。

「関西線下り(四日市方面行き)ホームにあります」

「詩が刻まれています」
今やプラットホームはコンクリートで固められ、中也の見た景色とは変わってしまいましたが、詩碑の足元には「綺麗な砂利が敷き詰め」られています。

「関西線上り(名古屋方面行き)ホーム。ここに中也も降り立ったのでしょうか?」
今回、中原中也について書かれたものを読んでいて気づいたことがあります。
中也が亡くなった後、「中原中也賞」が設けられ、新進詩人の優れた創作詩篇に与えられているのですが、第一回(昭和14年)は立原道造、第ニ回(昭和16年)は杉山平一、高森文夫、そして第三回(昭和17年)は平岡潤に授与されました。(この賞は第三回で中止されており、現在の「中原中也賞」とは異なります)
「平岡潤」(明治39年(1906)~昭和50年(1975))といえば、桑名について調べる際、必ず目にする名前です。『桑名市史 本編』『桑名市史 補編』『桑名の伝説・昔話』を編纂された方です。
平岡氏が『茉莉花 詩集』(平岡 潤/著 平岡 潤 1942)を出されていることは知っていました。
けれど、あくまでも郷土史に造詣の深い方という印象で、詩集『茉莉花』で高い評価を受け、「中原中也賞」を受賞されたことは(図書館で働きながら恥ずかしいことですが)知りませんでした。
さらに平岡氏は、詩人であるだけでなく美術にも秀で、自由美術家協会賞(第一回)を受賞しています。画家を志されるほどでした。
仮定の話をすることは失礼かもしれませんが、もし戦争がなければどういう人生を送り、どういう作品を生み出されていたのだろうと思わざるを得ません。
復員後、郷里の桑名に戻ってからは郷土資料の収集、編集、文化財保護に尽力されました。中学校時代の恩師である近藤杢氏を手伝う形で「桑名市史」の編纂を始められます。
桑名市立図書館に勤務されていた時期もあり、私たちの大先輩でもあります。
戦後、荒廃していた秋山文庫(桑名藩儒であった、秋山白賁堂(はくひどう)、その長男寒緑(かんりょく)、次男罷斎(ひさい)の三人の蔵書)の救済に立ち上がり、伊勢湾台風の際には浸水した史料の修復に取り組まれました。
くっついた紙を1枚ずつ剃刀の刃で丹念にはぎとっていく・・・という気の遠くなるような作業をつづけられました。
桑名市立中央図書館の貴重なコレクションである秋山文庫を初めとする郷土資料は、平岡氏や先人の方々によって守られてきたものであり、それらの資料を私たちは託されているのだと思うと、身の引き締まる思いがします。
その後、昭和45年(1970)、桑名市立文化美術館(現在の桑名市博物館)が創設されると初代館長に就任されますが、残念ながら昭和50年(1975)、郷土史の講話のさなかに心筋梗塞の発作で倒れ、亡くなられました。
平岡氏にお会いすることはもうかないません。
けれど残された資料を守り伝えていくことで、その志を受け継いでいくことはできます。
「令和」もいつか歴史の中の一時代となる時がやってきます。
託された資料を守ると同時に、今を記録し伝えていくことも図書館の役割といえます。
改めて図書館の役割と責任を感じる機会となりました。
これから始まる、そしていつか歴史に刻まれる「令和」が明るい時代でありますように。
<参考・引用資料>
『中原中也詩集』 中原 中也/[著],大岡 昇平/編 岩波書店 1991 911.5ナ(書庫)
『新潮日本文学アルバム 30 中原中也』 新潮社 1985 910.2シ(一般)
『ふるさと文学館 第28巻 三重』 ぎょうせい 1995 L980フ(歴史の蔵)
『鉄道の文学紀行 茂吉の夜汽車、中也の停車場』 佐藤 喜一/著 中央公論新社 2006 910.2サ(一般)
『文學界 [1937]12月号』 文藝春秋社 1937.12 L915ブ(歴史の蔵)
『茉莉花 詩集』 平岡 潤/著 平岡 潤 1942 L915ヒ桑名作家(歴史の蔵)
『詩集「茉莉花」と平岡潤 戦争に埋もれた「四季」派詩人』 津坂 治男/著 1992 L904ツ(歴史の蔵)
『桑名の文化 平岡潤遺稿 1』 平岡 潤/著 平岡潤遺塙刊行会 1977 L201ヒ通史(歴史の蔵)
『桑名の文化 平岡潤遺稿 2』平岡 潤/著 平岡潤遺稿刊行会 1977 L201ヒ通史(歴史の蔵)
『桑名市史 本編』 近藤 杢/編,平岡 潤/校補 桑名市教育委員会 1987 AL221ク(桑名三重)
『桑名市史 補編』 近藤 杢/編,平岡 潤/校補 桑名市教育委員会 1987 AL221ク(桑名三重)
『桑名の伝説・昔話』 近藤 杢/編,平岡 潤/編 桑名市教育委員会 1965 AL388ク(桑名三重)
『汚れっちまった悲しみに―私の人生観』 中原中也/著 吉田凞生/編・解説 大和出版 1992 (※ こちらの資料は当館に所蔵しておりません)
<志るべ>












